のちの、ツンデレ先輩。
尊敬すべき、大先輩だ。
でも、先輩が大学を
お会いしてない。すっかりゴブサタしてる。
*
おれは脳みそが足りないので、
「キライ」な人以外はだいたい「好き」で、
好きな人のうち
「直球ど真ん中ズドンなチャンネー」以外は
だいたい「尊敬」してる。
尊敬のなかにもなんとなく階層があるんだが、
ツンデレ先輩はソンケーカースト的には、そうとう上位にいらっしゃる。
のっけから、
いちじるしくどーでもいい。
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「のちの」ツンデレ先輩は、おれが
入学したての新歓(新入生歓迎)期間、キャンパスをうろついていたら勧誘してくれたチャンネーがあまりにもかわいいからという理由だけで
入ったテニスサークルにいらっしゃった。
「入学したて」から「理由だけで」までは、省略可。ね。
あ、あと
「のちの」「のちの」やかましいので、
以下「のちの」は略す。
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ツンデレ先輩は、そのサークルで
圧倒的にテニスがうまい方だった。
どのくらい圧倒的かというと、
「仕事場の近くの揚げものが超絶うまい居酒屋で、ランチで出してる唐揚げ定食の唐揚げ」
ぐらい。
いやマジ、あすこの店、すげえんだ。
とくにアジフライとメンチはもう、うなっちゃう。ん、唐揚げは?
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誕生の瞬間をドキュメントするまえに、
も少しツンデレ先輩のアウトライン。
*
ツンデレ先輩は、おなじ仏文科でもある。
仏文オトコという、レア・オブ・レアズ。
おれが3年生になり、どのゼミに入るか迷ってたとき、
おなじゼミに導いてくれたのが、ツンデレ先輩だった。
ほんとうに導いてくれたかどうかは、藪の中。
でも、
過去の記憶ってのは美化されるもの。じゃん。
当事者のおれが「導いてくれた」ってんだから、
いまやそれがまぎれもない事実。じゃん。
歴史ってもんは、そうやってつくられてくんである。
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ちなみになんで
「3級上」かつ「卒業以来お会いしてない」ツンデレ先輩が、
おれが3年生になるころにもまだお世話になっていたかというと、
時空がちょっとだけひずんでたからで、ある。
冒頭で「おれが1年のときの4年生」といったのは、
わかりやすくはあるものの、情報としての正確性には乏しい。
正確にいうと、おれが入学したとき、
ツンデレ先輩は「2年生」であらせられた。
2年生を3回おやりになられたのだ。
2級上の先輩方(ツンデレ先輩の1コ下)にとってみれば
先輩が同級生になり、後輩になっちゃった。
出世魚、ですな。
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ツンデレ先輩の名誉のためにいっておく。
おれとツンデレ先輩が出た学科は当時、
オトコが4年で卒業する割合が、
阪急の熊野の全盛期の打率ぐらいだった。
とくに2年から3年に上がる必修に1つ、
やたらキッツイのがあり、多くの人がその毒牙にかかってた。
「はらさんに、全部!」
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おれは大学時代、テニスサークルのほかに
アジアアフリカ研究会というところにいた。
入ってわかったのは、たまたまだが
そこはツンデレ先輩と同じ代の仏文オトコが4人もおり、
それきっかけでツンデレ先輩とお話しさせてもらえるようになった
という側面もあった。
その4人だって、決してナマケモノでもノーミソ足りないさんでもない。
むしろ、優秀な方たちだった。
でも、例外なくダブっていた。
ツンデレ先輩とおなじく、トリプっていた人も1人、いた。
いわば、「おれたちの国家では、それがジョーシキなんだよ!」
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とすると、
おれ、すごくね?
脳みそ足りないくせに、
4年で卒業したんだぜ。
まじ、
神のご加護とミラクルとやさしいオトモダチの
三位一体が織り成す結晶だね。
*
やばい。
調子に乗りすぎた。
ツンデレ先輩がまだ、誕生してねえ。
というわけで、つづくっ。