キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

シーアーテーイーリターンズ3

シーアーテーイーの復習の3回目。

シーアーテーイー=脚痛え。
腸脛靱帯炎(通称「ランナー膝」)のこと。

1)原因と対処法。
2)仕組みと症状。
3)いまおれが突き当たってること→このエントリー。

※ 最初に書いてから1週間経って、
  状況がだいぶ変わったので、
  あえてコンテキストを無視する部分もある。



ケツロンからいうと。
今回のシーアーテーイー、
杞憂だったっぽい。

ブランクのあといきなり30km走をしたもんだから、
一時的にスジが張っただけ、かもしれない。



いまはなんともない。

じゃあ書く必要ねえじゃん、なんであるが、
「3回に分けちゃう」って
インデックスまでつけた手前、
いちおう収めなくちゃね、という。



1つ、
今回のシーアーテーイーについて
ダイレクトに補足するならば。

痛くなってから10日あまり、
ふだんはサボりがちな
スクワットとストレッチを継続的におこなった。
それが奏功した。のかもしれない。



今回のシーアーテーイー、
マイナス面だけでなくプラス面もある。

そこらへんも含め、
今エントリーのテーマである
「いまおれが突き当たってること」を、
こんな感じ(↓)で進めていく。

○シーアーテーイーが産んだ副産物(プラス面)
=補強グセがつきつつある。
○シーアーテーイーが産んだ副作用(マイナス面)
=まだ走ることに臆病だ。
○あらためて、自分にとっての走る意味を考えられた。
○プランと現実とのギャップを見直せた。



副産物。補強グセがつきつつある

がんらい、おれには補強をする習慣がない。
補強っていうのは、筋トレのこと。

いつも「したほうがいいんじゃないか」
とおもってはいるものの、しない。

やっても、つづかない。
ちょっとでもやればカラダが安定したことが
自覚できるんだが正直、おっくう。



今回、シーアーがテーイーになり
物理的に前とおんなじだけ走れないのだから、と
スクワットだけでもやっておくことにした。

くり返すが、ちょっとでもやれば効果は実感できる。

スクワットに慣れると、
「フッキンもやっとこうか」となる。
フッキンを数日つづけると、
「ハイキンもやればバランスいいよね」となる。

いや、回数なんて「ダイエットしたいとおもってる女性」ぐらいの少なさ。
なにしろ、つづける、ことが第一義なので。

体幹が安定すると、歩く姿勢が自然とよくなる。
今朝なんか、駅から仕事場に向かうとき、
ショーウインドウに自分の歩く姿が映ってるのを見つけたら
アラ、この人、ホレボレするほど、かっけえ。

まだ10日ぐらいだからエラソーには言えないが、
このまま習慣になればいいな、とおもってる。



副作用。まだ走ることに臆病だ

一回痛くなると、
また痛くなるんじゃないかという不安が
頭にこびりつく。

なんてことを言いわけにこの2週間、
距離も頻度も強度も落ちている。

あえて落としている、と保身的に自らを納得させている。

保身(ブランク)が長引けば長引くほど、
もとの状態に戻す際のハードルがどんどん高くなるもの。

自ら保身をつづけ、自らハードルを高くしてる。



ん? なんだこの図らずも
どんどんネガティブに突き進んでく感じは。。。
というわけでやめる。



自分にとっての走る意味を再考できた

走る距離も頻度も強度も落ちたことにより、
「おれは何でジョグしてるのか」
頭を冷やして少し客観的に考えられた。

おれにとっての走る意味はとりもなおさず「楽しいから」。



楽しい。
3年ほど前、走りはじめたころは
家事とかから離れ、絶対的な独りの時間をつくれること、
自分がちょっとずつ速く、長く走れるようになることに
楽しさを感じていた。

去年のいまごろからはちょっと変わって、
キツめのトレーニングを計画してやりとげること、
もっともっと速く走ることに
楽しさを感じている。

レースで目標タイムを達成すること、
それに向かって日々、前進を感じられることが
なによりも楽しく、おれにとっての走る意味となっている。



なあんてこと、
こうやって書き出すとアタリマエなんだけど、
あらためて書き出すことによって
ああ、そうだったんだよねと再確認できた。

順調に走れているとき、
目の前の課題に次々いどんでいくだけで、
もっと大づかみなこういうことを
忘れてしまう。
ついつい。

そんな意味で、このシーアーテーイーは
軽く済んでよかったというのが第一だが、
なってよかった。



と、ちょっとポジティブ方面に回帰っ。



プランと現実とのギャップの見直し

「サブ3.15」カテゴリーで
折に触れ申し上げてるとおり、
この冬~春の目標は、4/21のかすみがうらマラソン。

かすみがうらで驚異的なPB(?)を出すために、
2~3月はガンガン走りこむ時期。

2月の赤羽、3月上旬の立川のハーフで弾みをつけ、
3月下旬の板橋(フル)で、さらに弾みをつけ、
4月、湖畔でピョ~~~ンと盛大なジャンプをかます。

というプランを立てていた。




「驚異的なPB(?)」ついでに、(?)。
「申し上げてる」って誰に、だ!?
まあいい。



現実は、
2月の赤羽ハーフで本気を出すことすらできず失速し、
モチベーションが下がって走りこみ量が減り、
シーアーテーイーになってさらに走りこみ量が減り、
3月の立川ハーフで期待値を下まわる結果となった。

ありていにいえば、
「ここまで、プラン全滅じゃん!」
というギャップ。



こんな現状。
ショージキ、むちゃくちゃアセってる。

「いま突き当たってること」は、
「むちゃくちゃアセってる」だ。

シーアーテーイーになったころから、
その気持ちは変わらない。

とか、
なに「こんなに揺らぎのないおれアピール」みたいの
しようとしてんだかは、知らん。



まあ、現実からは逃れようがないので、
保身としての「オトシドコロ」は
すでに頭のなかにある。

でも、いまは言わない。
かすみがうらが終わって今シーズンをまとめるときに、言う。



さしあたり、これから何ができるか
を考える。

さっき、
距離も頻度も強度も落ちている。
と言った。

1月の終わりに
たくさん走る。
とも言った。
そう。

人は何かを考えるとき、
その答えはすでに自らのなかにあるのだ。

などと名言じみた物言いで。
バッカじゃねーの。



これから何ができるか。

答えは
「頻度」
なんじゃないかとおもう。

よしんば、距離が短くても、ゆっくりでも、いい。

よくないケド、アッタマ悪いので
一度に2つ以上のことは考えられない。
だからハナから、考えない。



頻度について、
「大切だって実感したぜ」
みたいなことを何度も言ってる気がするが、
そのつど、ほぼすぐに忘却している。
アッタマ悪いので(2回目)。

ほんとは忘却してないけど、
さみい、ねみいを理由にサボタージュをくり返している。

それこそ、
サボタージュするという習慣が、すっかりついちった。。。



「頻度」1つだけを考える。

これは
「課題を1つだけにしてやったんだから
ちゃんとやれよな、テメエ」
という自分から自分への
温かいメッセージなんである。

うーん、長い。