キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

諦めるまでおよそ30秒

2年ほど前。震災の10日ぐらいあと、
上村春樹さんにお話しをうかがったことがある。

ということを、不意におもい出した。

正確にいうと「不意に」ではなく、
「ニュースをみていて」なんだが、
とりあえずそんなこと、どうでもいいじゃないすか。



お話しをうかがったのは、
「グローバルグローバルっていうけどその前に、
もっとちゃんとニッポンを知っておく必要あるんじゃね」
という雑誌の企画にて。

たとえば能とか空手とか、茶道とか仏教美術とか、
そういうものが持つ文化、美意識みたいなものを通して、
ニッポンとかニッポン人に底流する
国民性、世界観、文化観を、
あますところなく記事化したものである。

と、なぜか途中から
スクール☆ウォーズのオープニング風味に。



「私はまったくのドシロートですが、
読者層の知識も私とおんなじ程度ですので、
そんな調子で記事をまとめさせていただきます」

取材依頼時にそうエクスキューズしたのをいいことに、
おれはイノセンスな質問をしまくり、
上村さんはそんなおれに合わせて
予定時間をオーバーしてわかりやすく説明してくださった。



すげえオーラだった。
などと小学生の感想文みたいな説明しかできないが、
オリンピック金メダリストレベルの世界のVIPはこういうもんだということを、
取材の帰り道、歩きながら実感させられた。

身長はおれとそう変わらない。
失礼だが、無差別級としては
そうとう小柄、な部類。だろう。

加えて、ものすごく懐深く、
物腰も穏やかすぎるくらい穏やか。

なんだケド、けどね、
もしもこっちがなにかに触れちゃったら、
余裕で殺されちゃうぜ
みたいな、わけのわからない緊張感が感じ取れた。

いや。
その妄想電波はおれが勝手にキャッチしただけだが、
ちょっと話しただけで、人として器がチョーでけえ
ぐらいのことは、わかった。

ちなみにおれの身長は173cm。
中2のころは195cmあったんだけどね。。。



取材は、
まず柔道の基本的な精神を押さえ、
柔道そのものが国際化していくなかで、
全柔連会長として上村さんのスタンスを質問していく
という筋書き。

国際化のスタンスとしては、いわく
「柔道はひとつ。
いわゆる柔道とJUDOみたいな違いはないはず。
時代に合わせて変えることもひつよう」と。

実際に変えたのはたとえば、
カラー道着の採用とかそういうの。



いくつか強烈に印象に残る話を聴いたなかで、
ドシロートのおれでもスッと肚に落ちたのが
抑え込み一本の秒数にかんするギロン。

現行、国内では30秒、国際試合では25秒と
ルールに多少違いはあるんだが、
それについては、措く。

世界の柔道家と話し合いながら
さまざまなルール変更をしてきたなかで、
「抑え込み一本を20秒に短縮する」案は
上村さんが強硬に反対して見送りになった。



柔道で大切な言葉のなかに
「自他共栄」っていうのがあるらしい。

詳しくはこのページにあるが、
つまり自分さえよけりゃいいってのはダメだよ。
win-winの関係(死語すか?)を築くことが大切だよ。
柔道を通してその精神を培おうぜということ。



抑え込み一本で何が自他共栄かというと、負けた側の納得感。
「こりゃおれの完敗だぜ」とおもえればいい。

一説によると、
人間がじたばた抵抗して、
「あ、抵抗してもムダだな」と諦めるまでの時間は、
およそ30秒。らしい。

「20秒に短縮しちゃったら、負けにされたほうは
『まだ負けてないよ』ってなるでしょ。諦めてないんだから。
それは自他共栄じゃないでしょとプレゼンしたら、
オオ、ソウダナ、ハルキ!」と。



以下、余談だが。
くり返すと、取材をしたのが震災の10日後ぐらい。

全柔連に取材依頼をしたのが震災前後だった。
時期が時期だけに、
取材を受けてくれるだけでうれしいことだし、
広報の人から話が聴ければ、
それだけで十二分だと考えていた。



企画趣旨を説明し、企画書を送ってから数日後、
広報から電話が入った。

「企画書を拝見していろいろ検討したんですが、
ぜひご協力させていただきたいとおもいます」

おれ「はい。ありがとうございます!」

「つきましては、これは
とても大切なテーマであると解釈しました。
会長の上村という人間がぜひ直接
みずからお話ししたいと申しているのですが、
よろしいでしょうか?」

おれ「!! むしろこちらが
ほんとうによろしいのですかと
お聞きしたいくらいですなんですけど。。。」



ドシロートのおれだって、
リアルタイムで現役時代を知らないおれだって、
「その人、知ってるーぅ!」

いや、「解釈」の方向は身に余る光栄だが、
記事に対して取材対象が重厚すぎるぞ。

というか、おれ一人じゃ対処できねーぞ。



そんなわけで、
自分がドシロートであることを先方に告げて逃げ道を設けつつ、
取材までの数日間、
マジ死ぬ気で一夜漬けしたんであった。