2年ほど前。震災の10日ぐらいあと、
上村春樹さんにお話しをうかがったことがある。
ということを、不意におもい出した。
正確にいうと「不意に」ではなく、
「ニュースをみていて」なんだが、
とりあえずそんなこと、どうでもいいじゃないすか。
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お話しをうかがったのは、
「グローバルグローバルっていうけどその前に、
もっとちゃんとニッポンを知っておく必要あるんじゃね」
という雑誌の企画にて。
たとえば能とか空手とか、茶道とか仏教美術とか、
そういうものが持つ文化、美意識みたいなものを通して、
ニッポンとかニッポン人に底流する
国民性、世界観、文化観を、
あますところなく記事化したものである。
と、なぜか途中から
スクール☆ウォーズのオープニング風味に。
*
「私はまったくのドシロートですが、
読者層の知識も私とおんなじ程度ですので、
そんな調子で記事をまとめさせていただきます」
取材依頼時にそうエクスキューズしたのをいいことに、
おれはイノセンスな質問をしまくり、
上村さんはそんなおれに合わせて
予定時間をオーバーしてわかりやすく説明してくださった。
*
すげえオーラだった。
などと小学生の感想文みたいな説明しかできないが、
オリンピック金メダリストレベルの世界のVIPはこういうもんだということを、
取材の帰り道、歩きながら実感させられた。
身長はおれとそう変わらない。
失礼だが、無差別級としては
そうとう小柄、な部類。だろう。
加えて、ものすごく懐深く、
物腰も穏やかすぎるくらい穏やか。
なんだケド、けどね、
もしもこっちがなにかに触れちゃったら、
余裕で殺されちゃうぜ
みたいな、わけのわからない緊張感が感じ取れた。
いや。
その妄想電波はおれが勝手にキャッチしただけだが、
ちょっと話しただけで、人として器がチョーでけえ
ぐらいのことは、わかった。
ちなみにおれの身長は173cm。
中2のころは195cmあったんだけどね。。。
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取材は、
まず柔道の基本的な精神を押さえ、
柔道そのものが国際化していくなかで、
全柔連会長として上村さんのスタンスを質問していく
という筋書き。
国際化のスタンスとしては、いわく
「柔道はひとつ。
いわゆる柔道とJUDOみたいな違いはないはず。
時代に合わせて変えることもひつよう」と。
実際に変えたのはたとえば、
カラー道着の採用とかそういうの。
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いくつか強烈に印象に残る話を聴いたなかで、
ドシロートのおれでもスッと肚に落ちたのが
抑え込み一本の秒数にかんするギロン。
現行、国内では30秒、国際試合では25秒と
ルールに多少違いはあるんだが、
それについては、措く。
世界の柔道家と話し合いながら
さまざまなルール変更をしてきたなかで、
「抑え込み一本を20秒に短縮する」案は
上村さんが強硬に反対して見送りになった。
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柔道で大切な言葉のなかに
「自他共栄」っていうのがあるらしい。
詳しくはこのページにあるが、
つまり自分さえよけりゃいいってのはダメだよ。
win-winの関係(死語すか?)を築くことが大切だよ。
柔道を通してその精神を培おうぜということ。
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抑え込み一本で何が自他共栄かというと、負けた側の納得感。
「こりゃおれの完敗だぜ」とおもえればいい。
一説によると、
人間がじたばた抵抗して、
「あ、抵抗してもムダだな」と諦めるまでの時間は、
およそ30秒。らしい。
「20秒に短縮しちゃったら、負けにされたほうは
『まだ負けてないよ』ってなるでしょ。諦めてないんだから。
それは自他共栄じゃないでしょとプレゼンしたら、
オオ、ソウダナ、ハルキ!」と。
*
以下、余談だが。
くり返すと、取材をしたのが震災の10日後ぐらい。
全柔連に取材依頼をしたのが震災前後だった。
時期が時期だけに、
取材を受けてくれるだけでうれしいことだし、
広報の人から話が聴ければ、
それだけで十二分だと考えていた。
*
企画趣旨を説明し、企画書を送ってから数日後、
広報から電話が入った。
「企画書を拝見していろいろ検討したんですが、
ぜひご協力させていただきたいとおもいます」
おれ「はい。ありがとうございます!」
「つきましては、これは
とても大切なテーマであると解釈しました。
会長の上村という人間がぜひ直接
みずからお話ししたいと申しているのですが、
よろしいでしょうか?」
おれ「!! むしろこちらが
ほんとうによろしいのですかと
お聞きしたいくらいですなんですけど。。。」
*
ドシロートのおれだって、
リアルタイムで現役時代を知らないおれだって、
「その人、知ってるーぅ!」
いや、「解釈」の方向は身に余る光栄だが、
記事に対して取材対象が重厚すぎるぞ。
というか、おれ一人じゃ対処できねーぞ。
*
そんなわけで、
自分がドシロートであることを先方に告げて逃げ道を設けつつ、
取材までの数日間、
マジ死ぬ気で一夜漬けしたんであった。