キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

男気を感じたいだけなんだ

もう10年半、ケツを追いかけているボスの今朝の言。

おれのボスは口数は少なくないが、安易に言葉を吐かない。
もうナレナレになってしまったおれに対してさえ、「きょうのイチローはすごいね」みたいななにげない会話でもいまだに考えに考え、選びぬいたすえに出た言葉を発しているなと、ことあるごとに感じる。

くりかえすが、そんなボスの言。



もう少しボスをほめちぎると、

いや、ほめるって上から目線なのであれなんで、
「おれにはけしてマネできない尊敬すべきところをあげる」と、
よほどのことがないかぎり、怒らない。
よほどのことがないかぎり、他人の悪口やグチは言わない。

んである。



ボスがおれに声を荒らげたのは、
10年以上で、たったの1回。



いまの会社を興すまえ、
いまの会社と8割ぐらいおんなじメンツで、とある会社の1セクションとして仕事をしていたときのこと。

ラス金飲み
というものがあった。

毎月最後の金曜は、かならず全スタッフがそろって、神保町で「今月もがんばったね」飲みをする。月末で取引先が手形決済だとしても、ラス金飲みを欠かすことはできないという鉄の掟。

テツノオキテ~。
と卒業式なていで。。。



8年ぐらい前だったか、一度ものすごい忙しいときがあって、おれはうっかりラス金飲み当日の18時からアポを入れてしまった。先方の都合でそこしか空いていないという事情もあった。
事情が事情なので、ボスにそのことを伝えたところ、

「だって、きょうはラス金飲みじゃないか!」

決死の覚悟でリスケジュールを乞うたが、どうにもならなかったので、とにかくウタゲまでに戻れるように、死に物狂いでアポをこなした。

おれはこのできごとを「アノ、伝説のアララゲ派」と呼んでいる。
山川出版の日本史の教科書なら、必ず太字になってるレベル。ぐらい。



ボスが声を荒らげたのはネタなのかマジなのか、いまだにわからない。
でも、

駆け出しのころ、おれがド下手な原稿を上げてボスに見せたときに、
「キクチくんの原稿、ケチャップ状態にしちゃったよ」
と、ニヤッとしながら懇切丁寧な赤字を入れて戻してくれたり、

ある仕事でテンパりすぎて、絶望的に追いつめられた校了3日前。
「この仕事のいいところは、本が出なくたって誰も死なないところだから。ほんとうにダメだったらいっしょに謝りに行こうよ」と言ってくれたり、
(このときは、それで奮起したんだか神風が吹いただかで、奇跡的に間に合ってぶじ本が出たんだが)

あるいは、取引先にはボスをいちおうの長として、実質、現場はおれがほぼやってた案件が終わったとき、
「これがぼくの役割だからってことでいいかい?」
と、取引先も交えた打ち上げのダンドリをしてカンペキに仕切ったりと、

例が長いがこんな具合で、語弊承知でいえば、
みんなが仕事を楽しく、自由にやりやすいようにする場を提供する、ただしケツは全部持つ
というふうなことを、怒るどころか「人生で悩んだことはありません」みたいな顔をして飄々とやってる。

という。
そんくらいなボスなんである。



本題から遠のいた。

ボスはそんくらい、怒方向に感情をあらわにすることはないし、
よしんばしたとしても、慎重すぎるぐらい言葉を選ぶ人だということだ。とおさらい。



表題の言が出た原因は、1年以上かけて夏ごろにやっと終わった案件のこと。
不特定多数がみるブログだから、当事者がみてしまう可能性もあるが、まあいい。
当事者を非難したくてこのネタをものしてるわけではないと、ふつう読めばわかるよねと、とりあえずのエクスキューズ。



表題の言が出た原因は、1年以上かけて夏ごろにやっと終わった案件のこと。
などとくりかえす。

この案件をひと言でいうと、丸投げ。
ある顧客の案件を引き受けた会社(うちにとっての顧客)が、実制作をうちの会社に依頼してきたんだが、やり取りはうちと直。まあこれはムカつくけどよくあることだし、いい。

もしなにか問題があったら、うちの会社に責任がダイレクトにくる。
という、正直いって中間なんかいらねえんじゃね仕事。



大波小波あったもののぶじ終了して、いいものができた。大元のお客さんも喜んでくれた。
喜んでくれるに至るまで、大きな波も小さな波も、直でうちが承った。
つまり、中間は顧客のゴキゲンうかがいだけをしてるという、いわゆる代理店仕事。

ダイリテンシゴト。
代理店でもいいところもあるし、ちゃんとしたところはちゃんとしてるし、優秀な人は優秀なんだけど、ただの符牒として。
だいたい、「うちにとっての顧客」は、代理店じゃなくて出版社なんだけどね。
まあいい。。。



なっかなか表題の本題に入らない。
そろそろ入る。



仕事が夏ごろ終わりました。
ちょっと間が空いたけど(これもまあいい)、金曜(明日ね)に打ち上げしましょう。
という連絡が、先週、ボスに届きました。

機能しなかった「代理店」だったけど、
終わりよければすべてよしって言葉もある。
どんちゃん騒ぎしてすべて水に流そう。
そして、みんなで前を向いて、次に進もう。

ボスもおれもそれなりに忙しかったんだけど、予定をこじ開けた。



ところが、ゆうべ「金曜は予定がつかないので、来週で日程の再調整を」
というメール。

そこで出たのが、表題。
ああ、やっとたどりついた。。。



これはおれの感覚だけの話になっちゃうかもしれないけど。

よしんば途中で、なにがあってもいいけど、
結果として、こちらが提供したサービスを受けた人が喜んでくれさえすればいい。

喜んでくれた気持ちを形にあらわす意味で、打ち上げというものがある。とする。
そこには気持ちしかない。とする。
たいへんありがたい。

ところが、先方が提示してきた日程を、直前に先方が破棄してきた。
どんな事情があるのか知らないが、気持ちは感じられない。
仕事は業務になり、気持ちもしょせん業務ヲコナスの1つにすぎないのか
と訝しがる。



ギョーム。
ウィリアムでもなく、ヴィルヘルムでもない。ギョーム。
あまりにも、くだらない。
まあいい。

おれにとってももちろんのこと、
ボスにとって、よほどのことが起きちゃったんである。



ともあれ、ここまでの、おれのクソ長いやつを全部咀嚼すると、
表題に集約できる。

ボス、すげえ。
おれにはとても、マネできねえ。

ということを言いたいだけなんである。