きのう、小学校の家庭訪問があった。
娘の担任の先生と話してみたい、
親としての家庭訪問がどういうものか体験したい、
という、きわめてセルフィッシュな好奇心で
職場を早々に抜け出し、家で先生を待ちかまえた。
あ、くり返すが、おれにはとくだん
子どもの教育について語る(先生に伝える)
べきポリシーがあるわけではない。
だから奥さんと
「平日の昼間なのに、またオヤジがいる
って訝しがられるよね」
と話し、まず最初に、
「おれのただの興味本位っす」
を伝えなきゃね、となった。
*
同時に、モンペア的な見られ方を
してもイヤだなとおもったので
「そーゆーつもりはさらさらないですよ」
をアピールする意図もあった。
でもまあ、オヤジだてらに
そんなちょくちょくおうちにいりゃ、
そりゃもう、リッパなモンペアなんだな。
*
さておき。
ピンポーン
と家の呼び鈴が鳴る。
奥さんが茶を淹れてたので、
玄関に出たのはおれ。
案の定、先生がいっしゅん
「またオヤジ登場か」の表情をみせる。
ここですかさず、用意した
上のエクスキューズをかぶせる。
*
話したのはおよそ15分。
事前に
「入学して2週間足らずで
家庭訪問がおこなわれる」ということは、
○先生もまださほど、児童を把握してるわけではない。
○だからむしろ、親からなんらか情報を仕入れたいんだろう。
○あと、こんなご時世、児童の家庭環境を見ておきたいんだろう。
○そのほか、こんなに早く家庭訪問をするべき事情もあるやも。
という見立てをした。
つまり「今回はこっちから情報を発信する場である」と。
*
入学式とか父母会に出たかぎりでは、娘の担任は
「コミュりょくが相当高い人」
たとえば、
入学して一週間ぐらいの父母会のとき
「このクラスはいいクラスになるとおもいます」
という話になった。
その話が、
「このクラスはいいクラスになるとおもいます」
「たとえばきょう、『あいさつにはどういうのがあるか、思いつくだけ挙げましょう』という授業をしたんです」
「そうしたら、クラスで20コも出たんですよ!」
「私だって、そんなにおもいつきません」
「今まで、そういう活発なクラスは必ずいいクラスになりました」
「だからこのクラスもいいクラスになるとおもいます」
といったぐあいに、
具体的なエピソード、感想、前例が
ほどよくミックスされててわかりやすい。
そればかりか、これだけで先生がふだん
いかにていねいに、子どもたちと接してるか
よおくわかる。だからこそ、
ちょっと話してみたいなあとおもった。
いやこういう語り口、アタリマエみたいだが。
案外なされていない。
ここまで2、3回、学校関連の集まりで
何人かの説明を聞いたが
こういった語り口をしたのは、
娘の担任の先生だけだった。
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今回もこちらで用意した質問に、
そういう対応をしてくれた。
始まってまだ間もないし
時間もかぎられているから、
そんなに話すネタがあるわけではないが、
興味本位としては、十分に満足した。
*
さて。
実は、
前々から、自分の子どもが学校にあがったら、
担任の先生に2つ、
ぜひとも話しておきたいことがあった。
ただ、なんか押しつけがましくなるので
今回はやめておいた。
それをカイチーン。
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1つは児童との接し方。
おれが義務教育だった30年程度むかしには、
まだまだ悪いことをすりゃ、ひっ叩いたり、
「脚が痛いです」→「走れば治る!」的な
根性論だってまかり通る時代だった。
もちろんきょうび、是非はあるんだろうが
いまはちょっとナイーブに過ぎる部分もある。
と、保育園の先生を見てておもった。
保育園では、子どもがちょっと転んでヒザをすりむきゃ
「何時ごろ、外で遊んでいてヒザをすりむきました」
と、連絡帳に書いてあり、口頭でも伝えてくれた。
確かにこっちの安心感にはつながるんだけど。
遊んでてすっ転んだのをいちいち伝えるのは
負担が大きいよなあ、と。
だから、(まああっちにも縛りはあるだろうが)
わが家は、自分が子どものころのように
してもらっても一向に構わない。
それにかんしてクレームをつけたりは
一切するつもりはない、と伝えたかった。
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もう1つは、おれ自身の
小学校1年生のときの家庭訪問のこと。
おれはわりと担任の先生に恵まれてたほう
だとおもうんだが。
なかでも小1、2年の担任の先生は大恩師。
この先生がいなかったら、
こんにちのおれは絶対にいない
と言い切っていい。
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ちなみに、
忌野清志郎の「ぼくの好きな先生」を聴くたび、
この先生のことを思い出す。
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といいつつ、長くなったので、
おれが小学校1年のときの家庭訪問のことは、のちほど。
と、おもわせぶる。