おれが小学校1年のときの家庭訪問のはなし。
前エントリーのつづき。
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小学校にあがったころ、
おれはクラスでただ1人の「わりと純度の高いぎっちょ」であった。
ボール投げ以外は、ほぼ左。
箸は幼稚園のころ、
弁当で右使いを1年間試したが断念した。
(かつ、ややシャイな子どもであった)
小学1年のときの家庭訪問のテーマが
「おれの親はおれのぎっちょをどう考えているか」
になるのは自然な流れだろう。
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なぜかそのとき、母親だけでなく
父親も(さらにおれも)同席してたんだが。
父親は、「こだわりはありませんケド、
両方使えたらもっとカッコいいっすよね」
的なことを言ったように記憶している。
テキトーなのか計算ずくなのか、よくわからん。
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そんな途方もない回答に対して先生は、
「文字だけは右で書く練習しましょうか」
とキャッチボールを返してきた。
そして出したソリューションが表題のとおり。
いやこれ。
実際にやるのは相当ムズカシイでしょ。
あまつさえ、『トットちゃん』のトモエ学園とか
私立ならまだしも、
筋金入りのザ・公立だし。
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以後、2年生の終わりごろまで、先生は
おれが右で書きさえすれば、
全部100点(なりハナマル)をくれた。
漢字テストでいくら間違えようと、
たし算のテストでひき算をしようと。
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いつも100点をくれるからなのか、
おれはその先生のことが大すきになった。
また、いつも100点だから、
わけのわからん自信がつき、
わりと活発な子どもになった。
前に出ろ精神が培われすぎてしまったからか
小3以降の通信簿には、判でおしたように
「利己的」「もっとほかの人を考えて」
など「セルフィッシュ」の日本語訳が、
いろいろなバリエーションで並ぶようにまでなった。
上級生になってからも、
学校でその先生に出くわすと気恥ずかしくて
「はにかみながら挨拶してくれる姿が印象的です」
とか、年賀状に書いてあった(ような気がする)。
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そんなこんなで。
「訓練によって」
字を書くことだけはみごと右ききになった。
(絵を描く「訓練はしていないので」
左ききのまんまってことだな)
右で書いたらいつも100点をくれたのは
テストの解答の内容とか
「右手で書いた」ということに対してじゃなく
おれのマジメに取り組む姿勢に対して
だったんだろう。
と最近になって、やっと気づいた。
なにからなにまでレベルが高え。
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小学2年が終わるころ、その先生は
「次からは、右で書いても100点じゃないこともある
ということにしよう」とおっしゃった。
その直後、おれは漢字テストで
「(もく)ようび」を「(目)ようび」
と書いた。
はじめて100点じゃない点数をとった。
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なんてこと、
娘の家庭訪問で話さなくてよかった。つくづく。