キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

はじめてみたものを親とおもう

大河ドラマの「龍馬伝」。
オレは楽しく観ている。
幕末にはまったく興味がないので、彼や彼を取り巻く時代のことはほとんどわからない。

実はフィクションもそうとう多いんだそうだが、
「龍馬伝」で語られていることが史実的に正しいとおもってしまう。
あたかも、捨てネコが
生まれてはじめて見た物体「オレ」を親デアルとおもうように。
世田谷区と浜松市のハーフでおなじみのオレも、
江戸弁やら遠州弁(あるいはそのイントネーション)を遣うことがある。
自分では意識できてるつもりだが、気づいてこともまだあるんだろうな。

ゆうべ、ウチの娘と「あたまに“し”がつく言葉」遊び(山手線ゲームね)をしていて、
娘が自信マンマンに「しがし!(eastね)」と言っていた。
次に「あたまに“ひ”がつく言葉」遊びをしていて、
自信マンマンに「ひがし!(eastね)」と言っていた。

カノジョが生まれてはじめてみたものが、
たまたま「アサシヒンブン」だか「ヒオシガリ」だかを遣う物体だったんだろう。

。。。
というわけで、意識しているかぎりで
明らかに遠江なオレの言葉遣い。
厳密には知らんが、ちょいカンニングしつつ。

☆国道1号線は「イチコク」なのか「コクイチ」なのか、いまだによくわからない。
(東京近郊では前者、浜松では後者なんである)
☆「取りに行く」を「持ちに行く」。
☆「とんがらせる」を「とんがらかす」。
☆「漏れる」を「漏る」。

うーむ、いきなりだとそんなに出てこないな。
江戸(東京)のほうがいまの生活に密着しているので、無意識で遣っていることが多いかも。

カンニングによると、
「~じゃんか」
「~よか」
「~みたく」
も、若者言葉とは記されてるものの方言なんだと。

ちなみに、伯父はオレより純度の高い東京弁で、ヒとシなんかめちゃくちゃだった。
でも不思議なのは、
「シロシ」と呼ばれるのは日常茶飯だったものの、「ヒロヒ」は一度もないこと。

なんかあるんだろうか?
カメハメハメハメハ。