キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

スポーツマンシップ

キレイゴトで済ませるのが
かならずしもいいと考えているわけではないが。

明けてきのう、瀬古と中山がトークショーをした。
東京マラソンのイベントの一環だとか。
これ、小林繁と江川の邂逅と並ぶ、スゴいこと。



1987年、福岡国際マラソン後の瀬古の会見(↓)。


これを見るかぎり、
瀬古はきわめて客観的に中山との力関係を分析している。
非常に感慨深い。

しかも現役選手なのに、ライバルとの力の差をはっきり認めている。
選手生活の晩年だったから、なのかもしんないが。

箱根駅伝であからさまに母校びいきの解説をしている人と
同一人物とはおもえない。



このころの時代背景を
いちおう補足しておくと。

1988年ソウル五輪の男子マラソンの選考は、87年の福岡国際で一発勝負とされていた。
中山、谷口など、五輪をめざす有力選手はこぞって出場した。

しかし、有力選手の1人である瀬古はケガで出場を辞退した。

陸連は瀬古への救済策として、びわ湖毎日マラソンで瀬古が優勝したら、五輪代表に選出するとした。

平凡な記録ながらびわ湖毎日で瀬古優勝。五輪へ。

さまざまな物議を醸したが、落ち目だったとはいえ、救済策は瀬古がそれだけのスーパースターだったという証でもある。

少なくとも、オレが現役時代をみたことがあるマラソン選手では、瀬古と高橋尚子は群を抜いて神だった。
じゃあ、中山はどうよと言われたら「う~ん」となやんだフリをしてフェイドアウトしよう。。。



ちなみに。
上記「さまざまな物議を醸した」なかで、
中山が「瀬古はオリンピックに出たいなら、這ってでも福岡に出てこい」と言ったと報じられたことが、火に油を注いだ形となった。

ところが、真実は異なる。
wikipediaにもあるし、本人も語っているが、そんなことは言っていないらしい。

「大切な試合なんだから、ぼくは這ってでも出ます」と
瀬古を特定するとかじゃなく言ったのが、
おもしろおかしく報じられてしまった、という事実らしい。



マスコミってあいかわらずしようがねえな、はさておき、
この報道で、中山と瀬古との関係が
必要以上にぎくしゃくしたのは、確かだろう。

瀬古と中山なんて、もとから仲がよかったわけがないとはおもうケド、どうでもいい。



また前フリが長い。
そんな因縁の2人がトークショーなんですよー、だ。
現役時代のネタも出たとか。
「時間が解決する」もあるんだろうが、
せっかくいい話なので、性善説で締めたい。

ラグビーの試合終了をあらわす
ノーサイドという言葉の意味を、あらためて考える。