関係性がそう遠からぬビジネスマンの言。
彼は営業をしている。
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いわく、
「この会社で自分がちょっとがんばったってがんばらなくたって、まわりはふだんどおり動いてる。会社全体としての成果も大して変わらない。だから自分はその場にいさえすればいいとわかった」
と。
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一聞、なまけものの極み。というか、
「実はそういうヤツ、けっこう多いんじゃん」
の典型。
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彼がいる会社は大企業ではない。
むしろ、設立から20年ほど、少なくともこの10年はずっと低空飛行で、どうして存続しているのかいぶかしい会社。
もう、存在自体がいぶかしいといっていいくらいの会社。
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かたや、きょう帰宅して一家団らんの場。
勤続11年目になるハンリョいわく、
「春に昇進をしてとりあえずの目標も達成したし、いまは仕事にやりがいは感じられない。辞めようとはおもわないけど、しばらくはテンションを落として、日々の業務をやりすごそうと考えてる」
と。
バックグラウンドは大して複雑でもないが、
ここでは大切ではないので割愛する……。
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ぼくが「ハンリョいわく」を聞いておもったのは
単純にアリだ、ということ。
人間なんて、いつもがんばれっこない。
テンションが落ちるときだって当然、ある。
そんなとき、
無理に自分を奮い立たせようとしたり、
がんばれない自分を責めたりしたところで、
いいことはひとっつもない。
テンションが下がり気味のときとて
いやおうなくがんばらなきゃいけないときは、ある。
そんなときは誰だってがんばれる。
流れに乗ってさえいればいいから。
でもがんばりたくなくて、がんばらなくてすむなら、
がんばらないほうがいい。
そんなときは流れに身をゆだね、
たゆたってればいい。
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と考えると、
表題の「一聞なまけもののカタマリ」発言、
ちょっとは重さが増してくる。
ような。気がする。
さいあく、場にいさえすれば
またがんばろうとおもったときにはがんばれるし。
背負いこんで肩肘張ってがんばってもたゆたってても成果がおなじなら
たゆたってるほうがいいんじゃないか。
とおもうシマツ。
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少なくとも。
そういう精神的なゆとりを、いつでも持っていたほうがいいのかな、と。