桑田真澄が高校時代、PL教団のオエライさんに言われた言葉。
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桑田投手は「自分が、投げる」という行為にどういう意味があるのかを考え抜いて、自分なりの答えを出したという。
「自分が投げている姿を見たどこかの誰かを元気づけたりする」と。
表題の言葉も、出した答えもスケールが壮大すぎる。
ただ、ものごとの答えって、案外こんな普遍的でシンプルなことなのかも。
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すごいとおもうのは、
この発言に対して、彼が真摯に「考え抜い」たこと。
そして結果として、こんなわかりやすい回答を導き出したこと。
発言者の器も、大きい。
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表題の言葉が引っかかったのは、もうひとつ要因がある。
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おれの父は書道家であった。
家で仕事をすることも多かったが、仕事の話をほとんどしなかった。
そんなわけで遺された家族は、書道のことはさっぱりわからない。
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父が亡くなったあと、父の先生やら仕事仲間から、
家族にはわからない「仕事の場での父」の話をいろいろと聞いた。
その中で、父の先生が
「彼が書道をはじめたきっかけは、書道をとおして人を救うためだと言っていた。彼はそれをよくやり遂げて逝ったとおもう」
とおっさっていた。
「うへー、あの酒飲みオヤジがそんなこと言ってたのか」
ともおもったが、足跡をたどるにつれて、生涯その軸がまったくブレなかったことに気づかされた。
「世界平和のために投げる」
「書道をとおして人を救う」
どちらも自分に当てはめてみる。
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何のために働いてきたか。
あるいはこれから何のために働くか。
人生の目標はなにか。
こういうことを桑田みたいに「ちゃんと考え抜く」のって、
メンタルなスタミナがすごく要る。
社会に出て10年あまり。
一度ぐらいはちゃんと考えなくてはならない。