キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

総括その2:シーアーテーイー2017冬

前エントリー(その1)のつづき。

じぶんの想いとか、そんなもんつらつら
連ねてもなんの役にも立たないので
きょくりょく、事実をたんたんと並びたてる。
たてたい。(←何らかのフラグぇ?)



念のため言っとくがあくまで
経験や感覚からみちびきだした
ドシロートの勝手な見解である。

ただ、現に「数週間でなおった」
という意味では、まったくの的外れ
ではない(と、おもう)。



<直接的に効果があったこと>
○走る機会を増やした
○スクワット

これら・イズ・ほとんどオール
といっても過言ではない。



「腸脛靭帯炎の原因は脚筋力不足」
というのが、大前提にあって。

客観的に脚力が多かろうと少なかろうと
それに見合わない負荷をかければ
悲鳴をあげるのは、アタリマエ。

なので、負荷に見合う脚筋力をつければ
腸脛靭帯炎にならない。

フトモモ→スクワットって単純な図式。

また「ふだんは何ともなくて
走り出してしばらくすると痛くなる」って
特徴もあるので、とにかく痛くなるまで走る。



スクワットはいままでも35回×3セットを
週に3回ぐらいやってた。
「筋トレってよりは、下半身の安定感を地味に保つ」
というニュアンスである。

「どうせ走れないんだから」ってんで
5回増やして40回×3セットにして。

それを朝晩にして。

持続力をつけるため、55回×2セットにして。

いまは50回×3セット(朝のみ)にした。

「ふだんけっこう怠けてた」
ってのがいい方向に作用して、
以前より明らかに裏モモに筋肉がつき
2段階ぐらいヒップアップした。

いい副作用。


ちなみに、ちょっとハナシは外れるが。
そして、おれのやり方が間違ってるかもしれんが。
スクワットはケツとハムはロンのモチ
股関節をちゃんと効かせることによって
その柔軟性と粘りをつくれる
というとこにこそ、有用なのかもっておもった。



。。。



<葛藤と皮肉>
○「走ると必ずすぐに痛くなる」との葛藤
○一番走るべきときに走れない葛藤
○距離閾値が上がってたことによる皮肉

さいしょの3日ぐらいはキロ7分で3kいくと
もう痛くて走りたくなくなる。走れなくなる。
けっきょくは、それを地味につづける
っていう原始的なのが一番の近道だが

「たった3kぽっちですげえ痛くなる」
に立ち向かうのは、わりとすぐ心が折れる。

ただ、初めての経験ではなかったぶん
そういうもんだって割りきれたのは
今回のおれにとってはよかった。
ので、「そういうもんだ」っておもえればいい。
んじゃないすかー。



「2月は3月のはなもものために走り込み
そのうえに3月は4月のかすみんのために
走り込む」という理論ゼロ根性100な
プランを立ててたため、2月の下旬を棒に振った
という事実にはガッカリもしたし焦りもした。

とはいえ、ガッカリしても焦っても
痛いのがなくなるわけじゃないんだから
目の前の「痛くなるまで3k」をひつこく
くり返すしかねえなって、開き直れもする。



1月に400k走ったことにより
ある種の脚力の基礎工事はできたものの
要するにいつもの倍、距離を踏んだことで
距離に対する閾値?があがってしまった。

ところに「2部練して2回痛くなっても
(1日2回も苦しんでも)たったの10k弱」

っていうギャップには苦しんだ。
いや、「苦しんだ」って大したことじゃなく
ちょっと戸惑ったていどだが。

あと、ひたすら「ヒザが痛くなくなる」
ということに専念してるだけで
「脚にも心肺にも負荷をかけられてない」
っていう徒労感には、わりと戸惑う。



<副産物>
○ついでに、苦手をひとつ克服しようとした
○より入念にケアするようになった

「どうせ走れないから」ってんで
体幹、おれのバヤイはとくにカラダの側面
の強化をしちまえって貧乏根性を出せたのは
いいことだったとおもう。

あ、コレ、あんま関係ねえな、直接には。



ケアをちゃんとするようになった
というのは、よかった。とおもう。
「ケアが大事」ってのはアタリマエで
いままでもジョグ後にしてたつもりだが

「腸脛靭帯炎=脚の外側の筋がつっぱる」

というあきらかな違和感があるおかげで
たとえば「フトモモをもみほぐす」って
ザックリした感じではなく
「ここの部位を」もっというと「この筋を」
といったように、じぶんのカラダについて
より、細かく考えれるようになった。



って、漠然としすぎてるな。
具体的にいうと、温める←→冷やす
のバランスみたいなものが大事で。

温める=筋、カラダをゆるめる
冷やす=発熱・鎮痛する

どちらかに偏りすぎてもダメっぽくて。
筋がこわばってるので
温める=ゆるめるに寄りつつも
随所随所で冷やしもするっていう。

これはじぶんの感覚に頼るのが
正しいような気がする。

具体的じゃねえじゃねえか。



<メリットと裏腹デメリット>
○どうせゆっくりなので、気楽に走り出せるが
○アタマに「もしも」がこびりつく
○知らず知らず、かばってるんではないか

「どうせゆっくりしか走れねえし」
「どうせ数キロで痛くなるんだし」
ってのは、上記のようにうんざりするいっぽう
「走りにいく」についてはすごく気楽だ。

閾値走すんぞとか、オネカンカマすぞ
30k走でもやんべか、とかにくらべて、
格段に覚悟がいらない。

反面。
治りかけてきたとき、速度をあげるのが
予想してたよかおっくうになった。
おっくうでもあり、おっかなくもあり。

「もしもまた」が、アタマにこびりつく。

けっきょくは「エイヤー」したんだが
大丈夫なはずになってから、
一週間ちゅうちょしちまった。



もうひとつ。
「変にかばわない」に気をくばった。
せっかく左ヒザが大丈夫になってきたのに
こんどは右、みたいなことになったら
さすがに心が折れるだろうなとおもったから。

でも、知らず知らずのうちにかばってる。
みたいなことにはいまでもおびえてて。

「ただの右ケツの筋肉痛」ってだけなのに
「右」ってだけで「ああ、やっぱり」
とか、過剰反応しがち(←きのうのおれソクフォー)



なんか大事なことを漏らしてる気が
しないでもないが、だいたいそんな感じ。

今回、数週間でなんともなくなった
ってのは、ただのラッキーだっただけで。

「こうすりゃ数週間で治って当然だべ」
では、断じてない。

耳タコなホドくりかえしたことだが
「腸脛靭帯炎は脚筋力不足」
なので、大事をとって休む(走らない)
というのは、まったくもって無意味。

であるいっぽう。

焦ってすぐに治そうとするのもよくない。
そもそも、あれじゃん。
「オーバーユース」が原因なんだから
それを治そうとオーバーユースしてどうすんのよ
みたいな。

今回も
「はなももやかすみんに間に合わなけりゃそれでしようがねえや」
「別に命をとられるわけでもねえし」
ってもっと目の前にあること
(かったるいケド回数走るとか)
だけに集中しようって開きなおってから
メンタルだけじゃなくフィジカルも
いい方向に向かった気がしてる。



ったく、エラッソーに、な。。。

走る筋力や心肺のスタミナがガタ落ち
することは覚悟しなきゃなんないが
それはもうなっちゃったことだから
どうにもなるもんでもないし

そのなかでベストを尽くすには
どうしたらいいかってことを
考えれたほうが、建設的でよい。
(↑てめえに言い聞かしてるなり。。。)