キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

ちょっとみちゃおうかな。やっぱ、やめとこうかな

朝、ワイドショーをみてたら「エンディングノート」という映画の紹介をしていた。

実の父がガンで亡くなるまでのドキュメント。
監督は娘。
ホームビデオのカメラをまわし、レポートなどをし続ける。

ガンに罹った父親は、超ダンドリ魔。
連絡してほしい人の名簿や、亡くなるまでのToDoリストをつくり、
葬儀場の下見まで済ませる。

亡くなる数日前、葬式について長男と打合せて、
「わかんないことあったら、ケータイしてくれ」
なあんていう起死回生ギャグ(?)なぞ、とばしたりする。
みたいなトーンも、嫌いではない。

まあ、みてないから詳しくは知らんが、
「ただ悲しいだけでも、ただ道化ているだけのものでもない作品なんだろな」
ぐらいの察しはつく。

映画をみる文化は持ち合わせてないけど、
こりゃちょっとみちゃおうかな。やっぱ、やめとこうかな
と考えてる。

やめとこうかなとおもうのは、まだちょっと生々しいからだ。

5年前に実父、7年前に義父(にょぼ父)を喪った。
2人ともガンであった。

2人とも、おれは胸を張って看護してました
といえるほどのことはできなかった。
と胸を張っていえる。

ただ、5年とか7年てのはビミョーな期間で、
さすがにふだんの生活では、もうそんなに思い出すことも少なくなってしまったが、
何らかのきっかけで思い出すと、
いまだに亡くなったとは信じたくない気持ちになる。


特に実父のときは節目節目に立ち会い、
告知から納骨まで、さまざまなシーンをすぐ横でみていた。

この映画のテーマがおそらく、違うところにあるのはわかっている。
わかっているのだけれど、
時間を追うごとに衰えていくであろう主人公の姿を
「あのころ」の義父なり実父にオーバーラップさせないことは、不可能。

そういう生々しさ。


すげえとおもうこと。
主人公の娘こと、この映画の監督は去り行く父の姿を記録した。
自分が携わっている映画という手段をもちいて。

父の病気がわかったとき、おれはそれができなかった。

自分が携わっている仕事の、取材という手段をもちいて、
去り行くかどうかはその時点ではともかく、父の半生を記録しようとした。

おれの申し出に、父は全面的に賛同してくれた。
「カラダがよくなったら、金は出すから出版でもしよう」と。

ところが実家を訪ねたはいいが、
手に持ったICレコーダーの、録音ボタンを押すことがどうしてもできなかった。


この差ははかりしれないほど、でかい。

途中で記録すべきかせざるべきか懊悩しつつ、
「撮られたくないと感じたときは、撮らない」とかルールを決めて
撮り続けたという。

一歩踏み込まないと、わかりそうで決してわからない境地。

。。。



起死回生ギャグといえば。

義父は最期にナースセンターの直近の個室に移されたとき、
「ここは死人をつくる部屋だぜ」
って義母にいったとか。

実父は放射線治療を拒否って、
「放射線だけは死んでもイヤだ」
とおれにいったとか。

おれは父の病気がわかったとき、
「神様、父親は死ぬにはまだちょっと早すぎるので助けてください。
もし父親が死ぬようなことがあれば、おれは今後、神の存在を一切信じません」
と神にいって、半年後に父が亡くなったとか。

おれの神頼みは、実は誰かのパクリだとか、そうでないとか。。。

うーむ、1つもクスリとも笑えん。