キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

どうか皆さん、お願いします。私を日本一の監督にしてください!

蔦文也と池田高校―教え子たちが綴る“攻めだるま”野球の真実 (ベースボール・マガジン社新書 42)蔦文也と池田高校―教え子たちが綴る“攻めだるま”野球の真実 (ベースボール・マガジン社新書 42)
著者:畠山 準
販売元:ベースボール・マガジン社
発売日:2010-07
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蔦元監督とのエピソードを、
畠山、水野、江上という「やまびこ打線」全盛期の
中心メンバーが章立てで順に語る、という構成。

池田高校に関してはもう語り尽くされている感があるし、
この本にも目新しい情報はほとんどない。

でも、わかっちゃいるんだけどおもわず手に取っちゃう。
「もう美味しんぼ飽きちゃったんだけど、1巻からそろえてるし、新刊が出ると買っちゃうんだよねえ」
といった感じ。
美味しんぼでもこち亀でもゴルゴでもワンピースでも、なんでもいい。別に。

さて、表題は1982(昭和57)年夏、広島商業との決勝戦の朝、
朝食前の訓示で蔦監督の言。

なんだかグッと来る。
「ひょうきんな口調」が、逆に切実な胸の内を際立たせてる。

以下、いつものごとく「いいのかね」なんだが該当部、江上の章から部分引用。

 試合当日。あれはたしか朝食の席のこと。箸を手に取る前、いつものように蔦先生の訓示が始まった。
「さわやかイレブンで準優勝をしたときに、失敗したんじゃ。選手に向かって『優勝旗と準優勝旗、2本用意されとるから、きょうはノビノビやれ』と言うたんやけど、あれは間違いや。最後まで勝ちにこだわってやらんと。勝つと負けるじゃ大違いや」
 そして、ひょうきんな口調でこう締めくくった。
「どうか皆さん、お願いします。私を日本一の監督にしてください!」
 そらそうやな。ここでやらんかったら、オレら、準優勝では満足せえへんし。誰もがそういう意識を持った瞬間だった。(原文ママ)


補足すっと1、蔦監督=池田高校は1974(昭和49)年センバツ、1979(昭和54)年の選手権で準優勝。
82年夏、つまりこの訓示から数時間後、念願の初優勝を果たす。

補足すっと2、引用中の「さわやかイレブン」は74年センバツのメンバー。
部員11人でセンバツ準優勝したことから、
ついたニックネームなのだが、事実は違うらしい。

「蔦監督のしごきがものすごくて、11人しか残んなかった」
と、むかしどこかで蔦監督のインタビューを読んだ。

「さわやか」とはおよそ真逆だが、現実ってそんなもんだろう。