キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

するどく結晶しきって


ひさびさに『坂の上の雲』。
途切れ途切れで、やっとクライマックスの日本海海戦まできた。

表題は、日本人ではじめてバルチック艦隊を発見した報(と司馬遼太郎がいう)の伝言を、
命をかけて伝えに行った漁師の青年に対する、司馬遼太郎の表現。



以下、ちと長いが前後も含め引用。
 垣花善はすでに六十になろうとしていた。かれは元来が陽気なたちだったので、島のあちこちから当時の話をしてくれとたのまれると出かけてゆき、酒のご馳走になってはくりかえし語った。
「そのため死ぬまで酒ばかりのんで」
 と、筆者がかつて宮古島へ行ったとき、当地の青年が、愉快そうに垣花善の言い伝えを語った。ふつう人間の一生で、他人に繰りかえし語るに値いする体験というのは、一つあればいいほうであろう。筆者がそれをきいたとき、余生はそれを語るために酒を飲んで暮らしたという垣花善の一生はかれの青春での一体験だけでするどく結晶しきっているように思えて、はなはだ愉快におぼえた。(P.350)
これ、実は物語の本流とは関係ない「余談であるが」に類する。
こういった脇を固めるエピソードや表現の積み重ねが、『坂の上の雲』の重厚さを形づくっている。



引用部だけでは、エピソードの全体像はつかめない。
やや不親切ではあるが、
説明が長くなりすぎるのも、ネタばらしになるのもナンなので、あえてあらすじ説明を控える。

「するどく結晶しきって」の表現自体が、十二分に「するどく結晶」してるじゃないか、という紹介にとどめておきたい。
興味があれば、この項(「宮古島」)だけでもどーぞ。



どういうわけか、オレはこれを読んでいて頭に浮かんだのは、
岩崎恭子さんの
「いままで生きてきたなかでいちばん幸せです」
だった。

当時14歳だった彼女が、バルセロナ五輪で金メダルを獲り
「いままで生きてきたなかで」と言ったことで、
「14歳」に着目して茶化していた人がまわりにもいた。
それをみるにつけ、オレが抱いた違和感の答えがここにあった。

もし岩崎恭子さんが60歳になろうとするころ、
酒をごちそうになりながらくり返し「いままで生きてきたなかで」について
陽気に語ったりなんかしたら、
それはそれは愉快痛快なんだろう。