キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

いいのか、さほどよくはないのか

イチから説明しなくても阿吽の呼吸でわかる、
という人と話すと、とてもラクだし、たのしい。

ラクも、たのしいも、同じ「楽」と漢字をあてるのは、ただの偶然ではあるまい。

ただ、
ラクでたのしいのが、必ずいいのかというと
そうでもないのかもしれない。
と、まぜっかえしをおこなってみた。



阿吽の呼吸ができている相手とは、
その「前提」である価値観とか想いという面で、
すでに自分との合意がえられた実績がある人。

ただ、そんなわけで、
自分の思わくと「大筋」合っているのは間違いないが、
今回も「まったく」合致しているかというと、それはわからない。

そこを「まったく合致しているんだろうなあ」と想定し、話を進める。

仮に「まったくは合致していない」として、
それが「前提」の核を成す部分だとしたら、
それはそれは、おそろしいことになる。

いまさら根っこを確認すべきか、すべからざるか
たいへん悩ましい。