イチから説明しなくても阿吽の呼吸でわかる、
という人と話すと、とてもラクだし、たのしい。
ラクも、たのしいも、同じ「楽」と漢字をあてるのは、ただの偶然ではあるまい。
ただ、
ラクでたのしいのが、必ずいいのかというと
そうでもないのかもしれない。
と、まぜっかえしをおこなってみた。
*
阿吽の呼吸ができている相手とは、
その「前提」である価値観とか想いという面で、
すでに自分との合意がえられた実績がある人。
ただ、そんなわけで、
自分の思わくと「大筋」合っているのは間違いないが、
今回も「まったく」合致しているかというと、それはわからない。
そこを「まったく合致しているんだろうなあ」と想定し、話を進める。
仮に「まったくは合致していない」として、
それが「前提」の核を成す部分だとしたら、
それはそれは、おそろしいことになる。
いまさら根っこを確認すべきか、すべからざるか
たいへん悩ましい。