キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

文化があるかないか

箱根を目指しゃいいのだ(2011/01/10)の続き。

だいたい、スポーツが強くない学校を出てもつまんねえんだよ。
別に、母校にとくだん思い入れがあるわけじゃないし、
もちろん、運動部に入ってたわけでもない。
でも、自分が通っていた学校の名前が出れば、
それなりにテンションが上がるし、注目もするもんじゃん。

という、心の叫び。
いまさら感満載で、
「スポーツ強い学校に行きゃよかったなあ」
と、ことあるごとに、わりとまじめに後悔する。

母校もまじめに箱根駅伝を目指せばいいし、
まったく不可能、ということもないだろう。

ところがね、という話。


妄想、戯言の域は出ないんであるが、
エソラゴト段階でも、コトはそうカンタンには進まない。

というのも、母校と上記3校とは決定的に違うところがある。
それは「経営方針」と「土壌」だとおもう。

エソラゴト段階って何じゃい? 知らんわ!
まあもし、以下の戯言、
事実関係に決定的な間違いとかがあったら、ごめんちゃいだ。



まず、経営方針。
少子化でどの学校も独自のカラーを打ち出さないとキツくなる。
みたいなことは、20年も前からいわれていた。

生き残るため、いろんな学校で
学部を増やしたり、学際的な研究室を設けたり、設備を充実させたり、
キャンパスを交通の便のいいオッサレーなところにしたり、
あるいは生涯教育に力を入れたり、してきた。

もちろん、スポーツの強化もその手段のうちの1つ。

きのう今日のおもいつきではなく、
何らかの経営方針があって、
それに従って年月をかけて動いてきたわけだ。

だとすると、母校の経営方針には
スポーツの強化は少なくともまったく含まれてないんだろう。
ということになる。



土壌。
校風とか文化、といい換えてもよい。

経営方針ってのは変な話、方針を立てさえすればいい。
でも土壌、文化って、そうはいかない。

あまつさえ、スポーツをバックアップした経験はない母校。

例えば、
東洋なら野球、
明治ならラグビー
青学でも野球、

といったように、
学校名を聞いただけでパッとおもい浮かぶスポーツがあるかどうか、
この差は大きい。



別に陸上競技じゃなくてもいい。
土の上を雨水が一度通れば溝ができるように、
看板になるぐらいまでスポーツに力を入れた経験があれば、
学校としてどう強化すればいいかの筋道は刻まれているはず。

出版文化なんて鼻につくだけで、そんなもんあるかい! とおもうが、
ことほどさようにスポーツ文化というのは、絶対にある。

せめて少人数少しだけでもスポ薦枠もうけりゃいいのに、
そんな空気はない。
なぜなら、いままでスポ薦をやったことがない
という土壌、文化、校風だからだろう。

一部リーグに上がっても「がんばったね」ぐらい。
そんな根性論みたいな話、
数十年に一度のラッキーはあっても、
長続きさせるのは難しいですわな。



いやなんというか、語弊覚悟でいえば、
プロ野球選手を何人も輩出している青学。

とはいえ、学校としてスポーツ臭は強くない。

このエントリーで言ってきたことをひっくり返す、かつ
前エントリーの繰り返しになるが
同じ山手線内にあって、
キャンパスの大きさも学生数も、大して変わらない(だろう)。
さらに、お坊ちゃんお嬢ちゃん学校という
訳のわからんイメージまで似通っている。

正直、今回の箱根だって、たぶんにおれの勉強不足だが
「出岐だけでしょ」
などとおもってた。
ほんとすんません。

青学にできてるんだから、母校だって。
と、決定的に高い壁がそびえてはいるものの
おもわずにはいられないんである。

妄想もいい加減にせい、
という内なる声が聞こえるので
ここらへんで。