キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

ちゃんとわかってるわいな、相手が

高校野球小僧2010夏号 2010年 08月号 [雑誌]高校野球小僧2010夏号 2010年 08月号 [雑誌]
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いつも同じことを言ってる気がするが、
「高校野球小僧」は表紙買いなんである。

今号の表紙は池田高校の蔦監督。
「高校野球小僧」あいかわらずクオリティーが高いですぞ。
夏の地区予選が始まる時期なので、各地区の予想がメインなんだが、
そのほかの記事も秀逸。
池田高校のことをまたツラツラ書こうとおもったんだが、やめ。

オレに刺さったのは3本。
■1 山陰のピカソが天才打者に託すもの
■2 名将と酒 
■3 “伝説の大逆転”ドキュメント(1) 荒木よ、勝負せえ!

それぞれ1つずつブログに書きたいほどなんだが、
まあ、以下かいつまんで。

■1 サブタイトル「糸原健斗(開星)と野々村直通」
センバツの「死にたい」発言が物議をかもした
開星高校監督周辺のいまの話。

オレはいまでも、
あのバッシングも責任のとり方も
行きすぎだとおもっている。

この記事の「野々村直通観」は、
オレのなかのモヤモヤ感を払拭してくれている。
いいかどうかわかんないが、感じ入った部分を引用しちまえ(↓)!
いきなり「話」って単語を3つ立て続けちゃうあたり、
文章はちとおかしいが、そういうことなんだよ。

 (野々村監督の)話を聞いてみると、話の中で頻繁に「戦争では…」「武士とは…」といった話が出てくる。最初は戦争好きの人なのかと思ったが、次第にそれは思い違いであることに気づいた。
・・・(略)・・・
 だから、あの発言も「末代までの恥」という言葉は、明らかに言い過ぎだと感じたものの、「死にたい」という言葉は理解できるような気がした。事実、「死ぬ気」で試合に臨んでいたのだろうから。


ちなみに糸原ってのがタイトルにある天才打者のこと。

■2 サブタイトル「蔦文也(池田)と酒とともに歩いた野球人生」
まあこの季節になると、必ずどこかの雑誌で見かける蔦監督記事。

蔦監督は池田高校の監督になってから甲子園に初出場するまで、
20年の歳月を要した。
教える技術レベルは高いし、
練習の量も質も野球への情熱も申し分ない。
ただ、采配が弱気だったため、
あと一歩のところで甲子園を逃がし続けた。

例えば、
サインは「ベルトを触ったらバント」とか単純なうえ、
何年も同じまま。
試合では大事な局面になるほど、
疑心暗鬼になって何度もベルトを触る。

それを横から見ていた当時の野球部長の発言が
きょうの表題。

完全にギャグなんだけど、こういう人って現実にけっこういる。

野々村監督もそうだが、
こういう古き良き昭和みたいのを
正論で全否定するほどヤボなことはない。

■3 1981年夏3回戦の報徳学園×早実 両エースの回想
まあ、早実荒木関連も夏の定番といえば定番。

少年時代の記憶だからこそ、かもしれないが、
この試合はオレにとって、3本の指に入る衝撃的な試合なんである。

報徳学園のエースは金村義明。
早実のエースは荒木大輔。

金村はプロを辞めてからタレントになり、
もはや甲子園の優勝投手であることが半分ネタにされているが、
当時はほんとにものすごかったし、
あの夏は確かに金村を中心にまわっていた。

印象的なのは、金村の言。
オレの「だいたいこんな感じ」で以下。

金村は、甲子園の優勝投手という肩書きを手に入れたが、
ピッチャーへのこだわりはまったくなかったという。
それは、この年の春、夏の甲子園で
槙原寛己、荒木大輔、工藤公康と対戦したことによって、
ピッチャーとしてのモノの違いを痛感させられたから。

ピッチャーとして限界を感じた金村だったが、
バッターとしてはやっていけるんじゃないかとおもった。
バッターボックスから彼らのボールを見たとき、
確かにものすごかったが、打てないほどではなかったし、
実際に自分はそれを打ち返していたからだ。