表題は「number」2009年 8/20号、73ページから。
かの池田高校、蔦監督夫人のキミ子さんが
挨拶に訪れる教え子にかけるハッパ。
(キミ子さんは、かつて池高野球部の寮母をしていた)
*
池田高校が甲子園から遠ざかって久しい。
直近がおれが高3のときだから、
もう17年のゴブサタになる。
今夏なんか県予選の1回戦で敗退した。
県予選の1回戦敗退は31年ぶりらしい。
でも、表題。
*
池田高校が初めて甲子園の土を踏んだのは
蔦文也が監督になってから20年後のこと。
そのへんのエピソードはもうすでに、
いろんなメディアで語り尽くされている。
おれにもだって言いたいことはあるが、そんなわけでカツアイ。
とりあえず
「最後の出場から17年待ってんだから、
あと何年かかろうが、とことん待ってやろうじゃないか」
といったところだ。
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蔦監督の
(おそらく苦杯を嘗め続けた間もそうであったろう)
懊悩を表す、
いちばんわかりやすいエピソードは
あるムックでの畠山と水野の対談記事にある。
いまそのムックが手元にないので、判明しだい。
記憶頼りなので、細部はじゃっかん違うかもしれないが、
そのエピソードのアウトラインは、こう(↓)。
○まず池田高校といえば、「山びこ打線」で知られるように打ちまくるでしょ。
○でも、蔦監督はもともとバントやスチールを絡めた緻密な野球をしたがる。
○夏春連覇した畠山・水野の時代さえ、それは例外ではない。
○ランナーが出ると、さかんにバントやスチールのサインを出す。
○見事に失敗して二死ランナーなしとか。
○「もう勝手にせい」と開き直り、自由に打たせる。
○バンバン打線がつながり、大量点。
○畠山水野「なら最初から打たせりゃいいのに(笑)」
微笑ましい。
いまとは時代が違うといえばそうかもしれない。
でも今春、箕島高校だって復活した。
池田だって、まるっきしダメというわけではない。
昨年の秋には県で準優勝し、四国大会に出ている。
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また戻るが、だからこそ主題の言葉なのだ。
ひとつ、「number」誌の記事に物申すとすれば、
せっかくこんないい言葉があるのに、
締めがそれはないだろう、ということ。
それも、カツアイ。
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さておき。
強引に締める。
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その1。
夏が来ると、必ず池田高校の記事が出る。
池田高校に特殊な思い入れがある身としては、
自分と同じ思い入れを持っている人がいるということが
たんじゅんに、うれしい。
その「特殊な思い入れ」を持っているのが
記事を書いているライターだけにしろ、
掲載している出版社だけにしろ、
あるいはわりと、世間共通の想いなのかもしれんが。
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その2。
もし、ふたたび池田高校が甲子園に出ることになったら、
おれはもういいオトナになったくせに、
きっと1人で泣いてしまうだろう。
特に、
出場決定のニュースはもちろん、
○開会式で行進を目の当たりにしたとき。
○試合前のこんな場内アナウンス
「守ります池田高校の。ピッチャーは○○クン。キャッチャー○○クン・・・」
を聞いたとき。
○校歌が流れたとき。
校歌が流れたらもう、一緒に大きな声でうたっちゃうね。
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もう1回言う。
最後の出場から17年待ってるのだから、
もう何年かかろうが、池田高校の再登場を
とことん待ってやろうじゃないか。