時間のうまい使い方について、ちまたには指南書があふれている。
そういうコムズカシイことは、おれにはわからない。
わかったとしても、実行するのがめんどくさい。
実は秀逸な指南ほど
ごくたやすいことだったりするのだケド。
まず、本屋でそういうものを探ること自体、気恥ずかしくもある。
というわけで、やり始めたのが表題のこと。
これ、大してコムズカシくもなく、目新しくもない。
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考えるという行為を先延ばしにしたいとき、
ネットを見るのは外向けのポーズとしてうってつけ。
ただ、見はじめると往々にして
ネットを見る行為自体にはまったりもする。
ネットサーフィンという死語。。。
ならいっそのこと、見なければいいじゃん、と。
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きょうび、大概のニュースやネタには
ごていねいに記者の解釈や、一般のコメント欄も設けてある。
かぎりなく思考停止に近い状態で、
事実以外の解釈や感想が入った情報を受け取ると、
それを1つのパッケージで、事実情報として解釈する。
事実がどこからどこまでか、わからなくなるし
自分はどういう視点なのか、わからなくなる。
ということに、ハタと気づく。
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いや、数行上、「きょうび、」以降は
ただのリクツのこねまわし。
単純にオレ自身を省みたら、
ムダな時間の大半はネットだとおもったからさ。
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冒頭のコムズカシイ指南書群によると
ムダを省いて浮いた時間を有効に使うべし
と、ありがち。
でも、まだ浮いてもない時間の使い道まで考えるのは、
それだけでめんどくさい。
だいたい、「有効」ってナンだ?
もし時間が浮いたらそのとき
「もっとほかのムダな使い方はないものか」
と考えたほうが、たぶん楽しい。