キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

「どういうものか、考えなければならない」

「サンデーモーニング」で浅井慎平の一言。
その前に「日本サッカーとは」となる。



表題の発言、アクセントは「どういうものか」に置かれている。

物事の本質である「どういうものか」は、
脳みそが汗をかくほど考え抜かなければわからない。
ほんとうの意味でそれがわかれば、対応策は見えてくる。



スモールベースボールで2連覇した日本野球。
かたや、100年1日のようにフィジカルと得点力が課題といわれ続ける日本サッカー。

この差は、考える量の差でしかないとおもう。
歴史ではない。

よく日本における野球とサッカーの歴史がうんぬんされる。
単純に国内プロリーグを見ても、
野球は70年以上、サッカーは20年弱。

それをもって野球は歴史とともに語られる。
「球史」なんていう言葉が、野球の歴史を指して使われるように。



しかし、対世界で考えると、どうだろうか。
野球のWBCはたかだか数年。
サッカーW杯には、Jリーグができるずっと前から挑戦を続けている。

考えるために与えられている時間は、サッカーのほうがだんぜん長い。

この思考の結果である「日本流サッカーの確立」は、
とてつもなく壮大なプロジェクトだ。

言葉にすると、えらく安っぽくもある。
「節約って大事だよね」みたいな。



ほかのスポーツと比較したってしようがないが、
野球でのスモールベースボール。
バレーボールの回転レシーブ。
水泳のバサロなりドルフィンキック。

それぞれ、そのスポーツにおける
フィジカルなり日本人の性質なりを
「どういうものか」考え抜き、編み出して
自分のものにして世界と戦った。
(元が完全オリジナルかどうかは、措く)

その意味でサッカーは、まだ考え抜いてないんだろう。
小手先の戦略戦術ではなく、もっと根っこにある何かを。

おれはサッカーについてはいちじるしく興味がないので、よくわからない。
なので、とんでもない的外れを言ってるのかもしれないけど、まあいいや。