キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

表記について【おこなう】

表記統一の話。

書き言葉で、
(1)漢字を遣うか
(2)ひらがなに開くか
(3)送り仮名をどうするか
を統一するおれなりの基準をば。



(1)と(2)は、
迷ったら新聞社とか通信社が出している「表記のルール本」にならうのがいい。
てっとり早いし、一般的な用法に寄り添える。

あとは正直、フィーリング。
「頑張る」は漢字のほうが“頑張ってる感”が伝わるしな、とか。
(もちろん、フィーリングにも相応の根拠がいるが、それはいずれ)



あるいは自分のルールで、
ひらがなに開くと決めている文字でも
前後にひらがながつづいているときとか
文章の流れで「ここは漢字だろ」
という場面は必ず出てくるもので。

突っ込まれたときの言い訳を用意しつつ、フィーリングに頼る。

たとえば、難しいのは「言う」「見る」。
オレは通常、迷ったら開くことにしている。
でも、ひらがなと漢字。
自分の基準がどちらにあるのか、
いまだにわからなくなる。



さて、表題の「おこなう」。
“(3)送りがなをどうするか”も巻き込むもんだい。

「行う」か「おこなう」か「行なう」か。

この仕事を始めるまでは、
「行う」が当然だとおもっていた。

辞書をみると、表記には本則と許容というのが決められている。
「おこなう」の本則は「行う」だ。

でも、この仕事を始めてから
「行なう」(許容のほう)にシフトしていった。

理由は、ボスが「な」を送る派だったから。

「行っている」が「いっている」なのか「おこなっている」なのか、
パッと見でわからないとあんがい、不便が多いと気づいたから。



でも最近、“(2)ひらがなに開く”ことにした。
「な」を送るとどうもひっかかり感というか、
「な」が余分な気がしていた。

「迷ったら開く」という原点に戻ったわけだ。
このエントリーで遣った「わかる」も同様。