キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

「ぼく、こういうの弱いんです」

おとといの夕方、カーラジオにて。

元横浜ベイスターズ盛田幸妃投手のひと言。
こういうのいいなあ。



ある日、盛田氏が川崎市で少年野球教室を開いたそうな。
後日、参加していた小学生球児にインタビューした。
その音声が流れてきた。

インタビューでその少年は、泣いてしまってほとんど話せない。
どうやら、
「元プロ野球選手に教わった」ことがうれしくてうれしくて
感きわまってしまったらしい。

そこで盛田氏の表題のひと言。



現場でレポーター(インタビュアー)といっしょに少年と話していた盛田氏。
最初はネタかな程度だった嗚咽が、しだいに喋れないぐらいにまで激しくなっていく。

そして。
生放送のスタジオでその録音を聴いて、ふたたび言葉を詰まらせる盛田氏。

そういう純情。



少年野球教室を開く元プロ選手って
多かれ少なかれ「野球という夢を広める野望」を持っているもんだとおもう。

村田兆治なんかが、
「元プロがみっともない体型でよれよれのボールは放れない」
と、現役時代さながらのトレーニングを続けているのは有名な話で。

「小学校時代に盛田という元プロ選手に教えてもらった」
ということは、この球児にとって、
一生の財産になったはず。

たとえ、これから野球をつづけたとしても。
たとえ、野球から離れてたとしても。

この球児のレスポンスは、
「元プロ選手の野望」の1つの到達点だ。
盛田氏の感情が爆発したのも、
それを実感できたからこそだとおもう。



盛田氏のこれまでの苦労の道のりは、いちおうニュースで知っている。
まだ知らない人は、このエントリー冒頭のリンク(ウィキペディア)をたどって、ぜひ確認してほしい。

ただ、見た目の先入観で申し訳ないのだが、
盛田氏はおよそ情に流されることなどないクールなキャラ、
勝手にそう決めつけていた。

いかん。そしてスマン。。。
盛田幸妃という人間がますます好きになった。



おもい返してみますれば
盛田投手が活躍していたのは、まだホールドという制度もない時代。
大魔神佐々木につなぐセットアッパーとして活躍していた。
セットアッパーという言葉もたぶん、なかったとおもう。

なにがいいたいかというとつまり、
「その小学生球児は、盛田投手の全盛期にはまだ生まれていなかった」。
このニュースの価値は、そこにある。
ということ。



たとえば、きょうび。
教えてくれたのが松坂やイチロー、マーくんだったら、
この小学生球児と同じ反応をすることもある程度予想がつく。

でも、リアルタイムでは知るはずもない盛田幸妃で。
なのである。



こういうド真ん中のストレートで夢を与えられる。
野球もまだまだ、捨てたもんじゃない。

あ、盛田だったら内角をえぐるシュ-トか。