虚構っていえば。(ん?)
ちょうど最近よく考えてたのがまさにそんなんようなことで。
要するに全部テキトーだよね、と。
「価値」ってえと大上段になっちゃうケド。
カッコいいとされていたものがいつの間にかダセーに移り変わったり。
その逆が起きたり。
いきなりリバイバルしたり。
しなかったり。
それってのには絶対的な価値基準はなくって。
テキトーなふんいきっていうか。
なんとなーく「いまこれがかっけえ」の合意形成がされたら、それが共通認識になる的な。
あいまいな物言いになっちゃったので、上記リンク先に沿うならば。
紙っきれを「貨幣」として価値を持たせることにより、そのただの紙っきれで住居や飯や、精神的な充足感まで交換できるようになる。
逆に、絶望感や切迫感を抱いたり、それ起因で自死をえらんじゃうまでになったりもする。
って、ただの虚構から発した実にへんてこな流行でしかないんだけど。
これが見事に何千年にもわたって世界を支配しちゃってるって現実もたしかにあって。
うっわー。
このキクチはキモいな。
あるいは。
「戦争賛成」っていう流行があったとして。
その発信者は。
時と場所によっては、それが是とされたり何なら英雄視されたかとおもえば、ほかの時と場所では絶対悪とされたり危険思想の持ち主とされたり悪魔とされたりする。
でもそもそも絶対的な善悪なんてない、いずれも虚構がつくりあげたワールドでしかないんだよね的な。
うっわー。
やっぱきょうのキクチはいつもにも増してキモいわー。
*
いっぽう。
「いえ、私には揺るぎない私がありますから!」っつったっところで。
そんな私の私もしょせん、根っこのところでは虚構のうえに建てられたものでしかないし。
対処法?として。
頑固一徹さがよかったり尻軽な柔軟性がよかったり。
ってあったとしても、あくまで結果論でしかないじゃん?
「おれっちの筑駒合格体験記」的なものにすぎないわけだよな。
話が一歩も進んでないケド。
要するに、全部テキトーだよね、と。
流行にあらがうことは不可能なのだよ、と。
「アンチ巨人も含めて巨人ファン」みたいな物言いあるじゃないすか。
どっちもしょせん、巨人という流行の影響下にある、と。
そういう。
*
そんななか。。。
あ、何を言いたかったんだっけ???
「つまるところ、それが多様性ってことじゃん」
なんだけど、違う違う違う!
それが合ってるか間違ってるとかじゃなく、そんなこと展開しても確実はおもしろくはならない。
最高級にクソつまんねー。
「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」って、誰の何だったっけ?
まあいいや。
どうでもいい。
*
話をすっとばすと。
好む好まざるにかかわらず。
「そういうものとして傍観だけしとく」
ってのが、いまんとこキクチとしては
モアベターなファイナルアンサーなんだけど。
ちょっとだいぶ引っかかるのは。
その「傍観」が織りなす語感の、近寄り方/距離の置き方。
ってのが、客観的にスカしたいけ好かねえ感じしかしないの。
。。。
と、完全に手詰まりなのでいまさらだけど。
少なくとも、ブログ(的なもの)がリバイバルすることはたぶんもうないわな。
ってことだけはわかる。
うーむ、これもまあいいや。
さてと、というわけで。
いまから超絶ひさかたぶりに江ノ島いってきまーす。
なんと! よりによってこの。
光いみじき 夏の日に。