『ちはやふる めぐり』を観てるうち、単行本を読み返したくなったし、百人一首をやりたくなってこんなことをごちた(↓)。
「ちはやふる」観てたらまた百人一首やってみようかなっておもえてきた。いらねえ情報的には梅園幼稚園出身。きく組。https://t.co/dpR4FCiKRF
— キクチヒロシ (@rFsPIZFyucNM3Z2) 2025年7月16日
後半は実話だけどまあいいとして、前半。
百人一首を「やる」ってほざいた。
キクチは競技かるたをやったことはないし。
あまりやってみようともおもわない。
ルールも大まかにしか知らない。
つまり、ここで言ってるのは競技方面ではなく鑑賞・解釈方面。
なので「かるた」ではなく「百人一首」と言っておる。
それをまた、ぞんぶんにやってみたいなとおもった。
(いっぽう、もともと百人一首の歌を覚えたのは)
(正月に親戚とかるた取りをしたときや)
(中学のとき、校内のかるた大会で勝ちたいとおもったからっていう)
(競技100でも鑑賞・解釈100でもない宙ぶらりん発祥なんだが、それもまあいいとして)
*
百人一首の100首の歌。
前エントリーで7割以上がクソヒマな貴族による色恋沙汰ばっかでうんざりってほざいたが。
百人一首って、ガンダムとか村上春樹とかドリフみたく。
子どものときは子どもなりの、思春期なりの、オトナなりの、年代によって解釈・受け取り方が変わるっていうおもしろさがあって。
50代になったキクチはどういう受け取り方をするんだろうっていうわくわく感がある。
前に「やった」のが10年前とすると。
40代のキクチが受け取ったものと、いま50代になったキクチの受け取り方がどう変わったか(変わってないか)を、味わい直す楽しみがある。
とくに。
「すきだった歌がそうでもなくなる」ことはないけど。
「それまで眼中になかったのがとつじょクローズアップされる」ってことはままあり、それを発見?するのも楽しみだったりして。
(実際、「めぐりあひて・・・」については、こないだの大河(吉高由里子が紫式部を演ってたやつ)きっかけで「これ、すんげえよくね?」って見直した、いわば実はそうとう筋金入りのニワカなのだよ)
「本を100冊読むよか、1冊を100回読みたい派」としては、次、じぶんのなかでどう展開するかにわくわくするほう。
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あ、言う順番が逆かわかんないけど。
やっと表題に沿うと。
この「やる」って言い方がとてもすきなのね。。
むかし、萩本欽一がゴールデンゴールズっていう草野球チームを立ち上げたとき。
じぶんは監督(というかマイクパフォーマンス)をしてるだけで、プレーするわけじゃないのにふつうに「野球をやる」って言ってて。
最初は「おめえ、やってねえじゃねーかよw」おもったが。
「これも立派に『野球やってる』ってことじゃん!」気づいたのがじぶんのなかでけっこう衝撃的で。
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いまのキクチのこの百人一首との距離感って。
当時の欽ちゃんと野球との距離感とおんなじじゃね?とおもった。
ってだけの話。
さてと。
まずは、100のうちいくつ憶えてるか(いくつ忘れちゃってるか)の確認からはじめますかな。
楽しみ楽しみ。