キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

記憶

キクチの最終学歴は大卒である。とおもう。たぶん。

あ、どっかの市長の学歴詐称にイッチョカミしたネタ、な。

 

かよっていた大学は。

(↑「母校」とか「卒業した大学」と言い切れない。あくまでネタだぞ!)

3月のはじめに卒業者が貼り出される儀式?があるんだが。

 

卒論をクソテキトーにでっちあげ、案の定というか、卒論面談で3人の教授にフルボッコにされたから、卒業できるか半々、いやシブロク?シチサン?ぐらいにおもってたので。

でいて、浪人してるし、家庭の経済状況的に留年はできなさそうだったので。

掲示板にてめえのおなまえがあって、心底ホッとした記憶がある。

 

卒業式には出なかったケド、学部棟に卒業証書をもらいに行ってちゃんともらった記憶もある。

 

ただ。

それはあくまでてめえの記憶で。

虚栄心とか悪意とか抜きにした、記憶の補正・美化だった。

ってこと、ままあるじゃん?

 

 

たとえば、いまでも小学校の同級生サトルとよく飲むんだけど。

むかしの話になって。

したらば、キクチの記憶とサトルの記憶は食い違ってたみたいなこと。

ふつうに、じゃないけど多からずともある。

 

「真冬にサトルんちに遊びに行ったときさあ」

「サトルのおかあさんが出してくれたラーメンがマジクソ美味くて、いまでも忘れられねえよ」

「いや、それうどんじゃね?」(実話)

的なクソ些細なこと含め。

 

ことほどさように、キクチの大学卒業問題(!)に関しても。

「実はどうなの?捏造なんでしょ?あなたは詐称してますよね!?」詰められたら、「いや、断じて違う」って言い切る絶対的な自信も根拠もない。

 

卒業証書をもらった記憶は、実は悪意のない補正・美化であるという(自作自演の?)疑惑を覆す、客観的な事実は持ち合わせておらん。

 

 

だって、就職や転職に際して。

キクチはいままで一度も卒業証明書の提出を求められたことねえんっすよ。

 

だから、そういう書類をもらいに学生課?に行ったことないし。

なので当然、狛江に引っ越したことも届けてなくって、大学関連の郵送物が着くはずもない。

 

卒アルには載ってるケド。

あれって、卒業できなくても載ることはできるじゃん?

2回ダブったパイセンなんか、卒アルに3回載ったって伝説あるしw

 

 

かたや。

これはスカしたいわけでも肯定・否定したいわけでも断じてなく。

いままで学歴でもって、得をしたことも損をしたこともない。

 

就活のときにリクルートからボンッボンッて大量に送りつけられてくる資料請求はがき付きの会社案内みたいな図鑑?が、名門早稲田大学に進んだ高校の同級生・はやしくんのとこに送りつけられてきたやつとくらべてラインアップがじゃっかん違っててあああっておもったことはあったがそんくらいで。

でもそんなアッパーの上澄みみたいなこと、ド底辺くさくさキクチにはほぼ関係ねえし。

 

仕事をしてきたうえで、学歴を理由に。

優遇されることはロンのモチないにしても。

少なくとも、虐げられたこともおそらくない(とおもう)。

 

持ち前の超絶人見知りやコミュ障が作用してマズったことは数知れないが、それは学歴とは何の関係もねえでしょうがゴルア!(←ん?なにサダンリー?)

 

 

それこそ、同窓会やらで仲良くなってFacebookでつながって。

「キクチって○○出身なんだ!」がある程度で。

だから何だってんじゃないし、同僚・おともだち(よしんばあたし)が○○出身というつながりでよくわかんない親近感を持たれる(「あたし」だったら持ちつ持たれつする)ぐらいのもん。

 

でもそれって。

「1965年徳島県生まれで高校野球やってた」って聞いて、キクチが勝手に「それって池田高校の水野や江上と試合したことあるんすか!?」って超絶wktkしたり(実話)。

「わたし、PL学園出身で桑田清原の2コ上なんっすよ」って聞いて、キクチが勝手に「ってことはあの伝説のPL池田戦でスタンドで人文字やってたんすか!」って超絶wktkしたり(プロシードおじさん元気してるんだろーか?)。

 

ってのと、夜話?ピロートーク?的にはおんなじようなもんじゃん?

雑に言うと、しょせん酒場のひとネタって感じ。

(そういう、酒場で盛り上げられる鉄板ネタを1つでも持ってるってすごいことなんだけどな。)

 

 

話を戻すとっていうか。

だからこそっていうか。

だしぬけにっていうか。

 

あいまいな記憶はあいまいなまんま、事実は不確定なままでもいいのかなっておもう。

 

オチとしてあきらかに弱いが。

うすらさぶい、クソきれいごとをほざくと。

卒業できたかはわかんないけど。

あの大学に入ったからこそ、いろんな立場のすげえおもしろい人と出会えたし。

卒業できたかはわかんないけど。

50をこえたいまでもその人たちとちょくちょく顔を合わすほど得難い存在になってる。

卒業できたかはわかんないけど。

あまつさえ、謎の母校愛もうっすらある。

 

ってのは、卒業を証明されるかされないかよりずっと尊い、てめえの人生を芳醇にしてくれてることは間違いない。