もうひとつ、最近の「カムカムエヴリバディ」から。
表題はヒロイン・ひなたの父親ジョー(オダギリジョー)の言葉。
「で、何が言いたいかというとやな、それでも人生は続いてゆく。そういうことや」が全貌。
*
前エントリーで触れたシーンのちょっと前。
ひなたは、7年もおつきあいして結婚寸前までいった五十嵐(本郷奏多)とお別れすることになり、むちゃくちゃ落ち込んでおり。
弟の桃太郎(青木柚)も、小さいころから憧れというかガチで好きだったさよちゃん(新川優愛:ひなたの同級生だから桃太郎からすると相当おねいさん)にフラれた形となってむちゃくちゃ落ち込んでおり。
茶の間でケンカになり、やがてあたしぼくのほうが不幸だ合戦を始める。
ひなたが「結婚式として貯めてたお金を英会話教室につぎ込んだのに英語はまったくマスターできないうち貯金が尽きたし」「みじめさならあたしのほうが上じゃ!」とか言って。
それに対して桃太郎は「そもそもボクの桃太郎というへんてこな名前はどうなるねん?」とか言ってw
そうこうしてるうちにジョーが現れ、トランペットを吹こうとするがうまく音が出せない。
「お父ちゃんはむかしトランぺッターで、レコードデビュー直前まで行ったんだけど、謎の病でいきなりトランペットが吹けなくなった」と告白する。
「それからあらゆる病院をあたって、でも原因はわからず」
「とはいっても、ある日とつぜん治ることもあるんじゃないかと、トランペットを手にとってみるが、やっぱり吹けなくって」
(あ、例によって表題以外はセリフ、印象で書き起こしてるからまったく正確ではない)
(ふんいきだけは合ってるとおもうが)
ジョーがトランペッターだったということを知らないひなたと桃太郎は、ジョーが子どもたちのケンカをギャグで収めようとしてるとおもって笑い飛ばす。
「嘘にしたってもう少しマシなのつかねえとwww」
しかしして。
るい(深津絵里)はお店にずっと昔から貼ってある映画時代劇のポスターをはがして来て。
裏にジョーがトランぺッターとして絶頂期だったころの日付入りのサインを見せる。
子ども2人は当然「まじだったのか。。。」ってなりまさあな。
「ある日とつぜん治ってることもあるんじゃないかと、トランペットを手に取る日が」
「最初は週に1回、それがやがて月に1回、3か月に1回、半年に1回となってゆき」
「桃太郎が生まれた頃からは、ほとんどやらなくなり」
「でも、ひなたと桃太郎を見守りながら生きるのも悪くないんじゃないかと思いはじめ。。。」
そこでジョーは。
冒頭のセリフを言って、その場を立ち去る。
という。
くぅ~、ジョー、っていうかオダギリジョーかっけえ!!!
*
さてと。
このエントリーをどうまとめたらいいものか、よくわからない。
夢を諦めた者がわが子という新しい希望の光を見出だして次へ進んでゆくのだ、ととることができるかもしれないし。
絶望の淵に立った者が、それでもなおある種のカルマ的なものを背負ったまま生き続けてゆかねばらない、ととることもできるかもしれない。
そのどっちがどうだってことは、よくわからない。
ジョーがこの30年間、どう人生を続けてきたかはよくわからない。
よくわからない尽くしじゃねーか! ながら。
でもジョーはトランペットを吹けなくなったあの日から30年間、人生を続けてきたわけで。
第三者からは変哲もなさすぎるようにしか見えない人生を重ねてきたわけで。
。。。
クソ安い感想をほざくならば。
「ガラスの天井」っていう超絶名曲があるんだけど、その。
「消化試合のリリーフピッチャー」という一節がキョライした。
はたしてそのピッチャーは、どんな想いを抱え、どんな決意を胸にマウンドに向かい、目の前のバッターと対峙するんだろうか? ナドト。