キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

主役と脇役、みたいなこと

朝ドラ「カムカムエヴリバディ」の再放送を観てておもったこと。

という、クソどうでもいい日記。

 

「カムカムエヴリバディ」が斬新なのは、朝ドラのくせに?ヒロインが親子3代にわたるってことで。

 

朝ドラってふつう、ヒロインの一代記で。

「おしん」(小林綾子→田中裕子→乙羽信子)とかそれこそいま再放送やってる「カーネーション」(尾野真千子→夏木マリ)みたく、年齢とともに演者が代わることはあっても、ヒロインそのものが代わる(変わる)のはたぶん「カムカム」だけで。

 

 

いま、3代目のヒロインひなた(川栄李奈)の話が始まったところで。

親として先代ヒロインのるい(深津絵里)はふつうに出てきてるんだけど。

物語のフットライトはひなたに移ってて、るいは言っちゃうとセットのひとつになってるという。

 

「なんつうか、先週までるいの目線・思考で見てた物語を、今週からひなたの目線・思考で見ててその視界の中にるいがいる」

って風景がおもしれえなとおもったおもいましたとさ。

ってだけの話なんだが。

 

それって。

「選手を引退した長嶋茂雄が監督として現場に戻ってきた」とはニュアンスがちょっと違うじゃん?

 

役割としては「ウルトラマンレオにモロボシ・ダンが出てくる」に近い。

目線としてはドラクエ5のプレーヤーが近い。

(ドラクエってだいたいプレーヤー(主人公)がこの世を救う勇者なのに、5だけ?実は勇者はストーリーの後半に生まれた息子だったってわかって、最初「えーっ?」ってなった)

 

 

すげえスカした言い方をすると。

じぶんの人生の主役はじぶんだから。

子どもころは子の目線から親を見て、親になったら親の目線から子を見るように。

つまりしょせん、常に主役・じぶんの目線からしか見ることができないんだけど。

 

主役・るいは主役の座をひなたに移譲?して脇役になったが、るいはるいの人生の主役ではありつづけているはずで、そのさまを見れる、と。

(↑今世紀最大の日本語ぇ案件。。。)

 

 

書いてたら頭がこんがらがってきた。

火のないところに煙を立ててる感じ。