キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

続々々・いまさらイチロー

そんなイチローを見る目が変わり始めたのは、東京でおこなわれた引退会見だった。

おのれの歩んできた道を誇り、周囲に感謝し、いま話せることはぜんぶ話しますと言って、けっきょく2時間だったかな? 記者の質問にすべてていねいに答え続けた。

 

イチローって、こんな人間くさいやつだったんだー。

感動した。

 

 

こっから、当時といまがこんがらがるんだけど。

言ってることがなんだかわかんなくなるかもだけど。

 

今回「情熱大陸」を観て衝撃を受けたのは。

「このひとは、こんなに客観的にじぶんをみてるんだあ」で。

 

 

前エントリーでほざいたとおり。

全盛期、イチローを夢中でみていながら、しぐさとかもパーフェクトすぎるのがどうも引っかかってた。

走攻守、ぜんぶさまになってるのが逆にね。

 

たとえば。

走攻守のフォームがぜんぶサマになってるのはいい。

スイングのフォームとか、送球するフォームとか。

 

打席に立って、右腕でバットをピッチャー方面に垂直に立てるあのポーズ。

バットを構える前に、バットを回しながら右の拳を口元にもってくルーティン。

そして、ヒットを打っても平然と一塁ベース上で肘を立てて腕のガードを外すしぐさ。

あまつさえ、よゆうがあるときはライトフライを背中にグローブを構えて取ったりしやがる。

 

あと何より、チェンジになってライトからベンチに戻るときのランニングフォームのきれいさ。なんとも癇にさわった。

 

「おめえ、カッコつけすぎだろ!」

「おめえ、オーディエンスを意識しすぎだろ!」

 

 

そうなんである。

「情熱大陸」のイチローも、オーディエンスを過剰に意識したしぐさをしておった。

 

自宅での筋トレシーン。

旧セーフコフィールドに向かうクルマでの運転のハンドルの握り方、目つき。

走り方、投げ方。

ロッカールームでの、グラブやシューズの磨き方。

自宅に戻っての、イヌとのたわむれ方。

 

「ああ、そりゃ『古畑任三郎』であんだけ(プロ野球選手らしからぬ)完璧な役者をこなせるわ」

いい意味で、すごーくおもった。

 

何を言いたいかというと。

これって、長嶋茂雄とイチローだけなのね。

 

 

野球選手って当然、プレイで魅せようとする。

そのかっこよさは野球の活躍あってこそで。

すんげえ投球からのガッツポーズとか、すんげえホームランを打っての「確信歩き」とか、意識してるかもだけどギリギリっぽくゴロをさばくとか、ヒーローインタビューで「最高でーす」とか(←コレだけはマジクソ最低だとおもう)。

まあ、プレイに紐づいた結果論なんだけど。

 

イチローはグラウンドに出た瞬間から、プレイヤーとして「ぜんぶカッコいい」をしようとしてやがったのね。

そんで、それは結果的に「カッコいい所作」であるんだけど。

オーディエンスに見せつけてるっていうか、意識ばりばりなんだけど。

同時にたぶん、アスリートとして最も正しい?理に適った動きなんだよな。

 

「野球そのものの動作はこんなにカッコいいんだぜ」「正しいフォームって本来これなんだぜ」なわけ。

そして、その正しさをプレイで実行しつつ、オーディエンスに見せつけるわけ。

 

マジクソすげくね?

パフォーマンスじゃない当たり前のことをいちいち超絶パフォーマンスにたらしめるっつうかなんつうか。

 

イチローはそれを30年以上ずっとやってるんだ! と。

わかったときには、大げさじゃなく背筋から汗がしたたった。