キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

「ビタ一文」

こうもんみえても。

キクチだって喋り言葉と書き言葉は微妙に違っておって。

 

あ、ここで言う「書き言葉」ってのはブログでのみもちいる口調な。

 

たとえば、ふだんそこまで江戸弁?東京弁?濃度は高くないとか。

ほかにもクソ辺境によく出てくる定型文じみたやつ、おのれ自身が恥ずかしくなるからいちいち挙げないけど、あるじゃないすか。

そんなん、ふだんの喋り言葉ではけしてつかわない。

 

一人称「キクチ」なんて、いくらなんでも実際はそんな自意識過剰ではない。

ああああ、さっそくの矛盾だ。。。→「きょうのキクチはすげえいいっす!」

 

あ、いや。

これって前にもどっかでほざいたかもしんないが。

矢沢永吉が一人称を「YAZAWA」っていうののパクリというかインスパイアで。

 

いらねえコリクツをこねると、そうすることによってブログにだけ存在してる「キクチヒロシ」と、生身の「おれ」をちょっと区別できるというか。ある意味、客観視できるというか。その距離感がちょっといいなっておもった発祥にすぎない。

 

この情報、ほんっとうにいらねえな!

 

 

かたや。

「ビタ一文」は、喋り言葉でもよくつかう。

これは完全にビートたけしの影響。

 

「ビタ一文」って。

本来的には(?)、実際のモノの量を表す言葉で。

それこそ、金銭的に「そんなものにゃビタ一文払わねえよ!」とか。

「そんなん、ビタ一文の価値もねえ」って用法なんだろうけど。

 

むかし、オールナイトニッポンだったか北野ファンクラブだったかで。

たけしが「まったく〜ない」を全般的に(?)「ビタ一文」をもちいてて。

「おれはそんなことビタ一文おもわなかったんだけどさ」みたいな。

 

それがものすんごくカッコいいなっておもって。

いまや、完全にしみついてしまっておって。

(「〜しておって」も喋り言葉じゃ絶対つかわねえわな)

ふだんも、ふつうに乱用しておる。

 

 

さて。

何を言いたいかというと。

 

こないだ、にょうぼうと何の中身もないふだんの会話をしてて。

にょうぼうがふつうにたけし的に「ビタ一文」をつかってんのね。

 

「もうビタ一文あるきたくなくて」だったかな?

 

にょうぼうはラジオ聴かないし、北野ファンクラブも観てたはずないから。

「うわあ、コレあきらかにおれのせいだ。。。」

って、ものすんごくどんよりした気持ちになった。

なりましたとさ。

(↑この言いまわしもブログ特有だな)

 

(冒頭の「こうもんみえても」も乱用してるしてる)

(声に出したい日本語)

(ナイツってより、ごえもんさんの影響)