こうもんみえても。
キクチだって喋り言葉と書き言葉は微妙に違っておって。
あ、ここで言う「書き言葉」ってのはブログでのみもちいる口調な。
たとえば、ふだんそこまで江戸弁?東京弁?濃度は高くないとか。
ほかにもクソ辺境によく出てくる定型文じみたやつ、おのれ自身が恥ずかしくなるからいちいち挙げないけど、あるじゃないすか。
そんなん、ふだんの喋り言葉ではけしてつかわない。
一人称「キクチ」なんて、いくらなんでも実際はそんな自意識過剰ではない。
ああああ、さっそくの矛盾だ。。。→「きょうのキクチはすげえいいっす!」
あ、いや。
これって前にもどっかでほざいたかもしんないが。
矢沢永吉が一人称を「YAZAWA」っていうののパクリというかインスパイアで。
いらねえコリクツをこねると、そうすることによってブログにだけ存在してる「キクチヒロシ」と、生身の「おれ」をちょっと区別できるというか。ある意味、客観視できるというか。その距離感がちょっといいなっておもった発祥にすぎない。
この情報、ほんっとうにいらねえな!
*
かたや。
「ビタ一文」は、喋り言葉でもよくつかう。
これは完全にビートたけしの影響。
「ビタ一文」って。
本来的には(?)、実際のモノの量を表す言葉で。
それこそ、金銭的に「そんなものにゃビタ一文払わねえよ!」とか。
「そんなん、ビタ一文の価値もねえ」って用法なんだろうけど。
むかし、オールナイトニッポンだったか北野ファンクラブだったかで。
たけしが「まったく〜ない」を全般的に(?)「ビタ一文」をもちいてて。
「おれはそんなことビタ一文おもわなかったんだけどさ」みたいな。
それがものすんごくカッコいいなっておもって。
いまや、完全にしみついてしまっておって。
(「〜しておって」も喋り言葉じゃ絶対つかわねえわな)
ふだんも、ふつうに乱用しておる。
*
さて。
何を言いたいかというと。
こないだ、にょうぼうと何の中身もないふだんの会話をしてて。
にょうぼうがふつうにたけし的に「ビタ一文」をつかってんのね。
「もうビタ一文あるきたくなくて」だったかな?
にょうぼうはラジオ聴かないし、北野ファンクラブも観てたはずないから。
「うわあ、コレあきらかにおれのせいだ。。。」
って、ものすんごくどんよりした気持ちになった。
なりましたとさ。
(↑この言いまわしもブログ特有だな)
(冒頭の「こうもんみえても」も乱用してるしてる)
(声に出したい日本語)
(ナイツってより、ごえもんさんの影響)