前エントリーのつづきみたいなもの。
『死んだ山田と教室』についてもう一つ。
二年E組の教室のスピーカーに憑依した山田はある夜、深夜ラジオのようなものを始める。
「ファイア山田のオールナイトニッポン」。
リアルなオールナイトニッポンとおんなじテンプレで進む。
オープニングのビタースイートサンバを口ずさみ。
フリートークを展開する。
そのトークにちなんだ「今日のテーマ」を掲げ、ハガキを募る。
「では一曲いきましょう。さよならシュレディンガーで⚪︎⚪︎」
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深夜の学校だから、リスナーは想定してない。
というか、誰にも聴かれる恐れがないからこそ好き勝手に喋る。
ハガキを募っても、当然、投稿があるはずはない。
ハガキが読まれたひとには番組オリジナルステッカーをさしあげますというていなのだが、ロンのモチ、オリジナルステッカーなど存在しない。
そんなわけで、どういうステッカーかというとリスナー(いない)が頭に思い描いたとおりのステッカー。
ちなみに「さよならシュレディンガー」ってのは、山田が組んでたバンドのおなまえ。
という、ある意味凝った、深夜ラジオ経験者だてらにはかゆいところに手が届く設定だし。
なにより山田のフリートークがまた、クソくだらなくてイイ!
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いっぽうで、ここにはいろんな悲哀が込められてる。
昼間、学校があるときは二年E組のクラスメートと話せるが。
口と耳でしか存在してない山田は、夜や土日は死ぬほど孤独で。
(「死ぬほど」みたいな言い回しは作中、「いや死んでるんだけど」的なネタとして何度となく用いられる)
リスナーを想定していないとはいえ、オーディエンスがまったくいないというのはやっぱりアレだろうし。
でいて、じぶんに喋りたいことがあるからやってるんだろうが。
記録として残るものでもない。
何にも増して。
だいたいこれってそもそも、「死ぬほど孤独」な時を少しでもつぶそうっていう埋め草でしかないんだもんな、けっきょく。
なので「何のためにやってるか」というと、暇つぶし以外の何ものでもないわけで。
*
さてと。
こっから、換骨奪胎をカマす。
キクチはこのエピソードに悲哀を感じるとともに深い共感を覚えた。
そして、その共感が何かっていうことにほどなく気づいた。
「ファイア山田のオールナイトニッポンって、まんま辺境クソブログじゃねーか!」と。
。。。
誰かに宛てて書いてるわけじゃない。
ほぼ誰にも読まれない。
ただ、おもったこと感じたことをアウトプットしたいからやってるだけ。
書いてて楽しいんだけどそれだけ。
けっきょくのところ何のためにやってるのかはわからない。
ふつう何年もやってれば、書き手とともに進歩とか成長もあるんだろうけど、たぶん最初から精神的な成長はビタ一文してない。
少なくとも「ブログ」である必要性はなくね?
みたいなことは、たぶんいままで3兆回ぐらい往復してる。
でも、何年も何年も断続的に続け(ちゃっ)てる。
乱暴にまとめると、そうやって。
まったく意味のない無駄でしかないことをやってるわけで。
(あまつさえ、内容的に深くも広くもおもしろいものでもなく)
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話が一歩たりとも進んでないんだが。
上記と矛盾する&エクスキューズも含めてなんだけど、覗いてくださるかたがいなさるとするならば、それはものすごーくありがたい、うれしいという気持ちもあります。かなり強めに。
ただ、そこにリアリティは感じられなくて。
。。。
とまあ、いやあ。
もっとポップな、適度な自虐ギャグ散りばめた感じで書こうとしてたのに、書き進めるうちにどんどん全体的にネガティブな、愚痴じみたものになっちゃったのは、ひとえに文章力の欠如なのであります!
この換骨奪胎にはつづきがあるんだが、とりあえずきょうはここまで。
*
なお、「ファイア山田のオールナイトニッポン」。
孤独な一人遊びでは終わらず。
この物語において、ラスボスとはいかないまでも中ボスのうちの相当つおい部類のやつ的な展開を見せる。
(ただ個人的には、それが最終的に読後感のおやおや?につながっちゃったような気がすんだよなあ)