キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

「面識がある」ってどんくらいの距離感・濃さなんだぜ?

おのれのためのメモ。

昼下がり、ボスに表題のようなことを訊かれてたしかにってなった。

誰かに対して、ではなく言葉の意味として。

 

 

面識があるとは、お互いに相手の顔を知ってるという意味。

 

たとえば、オオタニサンとキクチは「面識がある」とは言わない。

キクチはオオタニサンの顔を一方的に存じ上げておるが、

オオタニサンはキクチの顔なんか知ってるはずがない。

つまり、「お互いに知ってる」ではない。

 

では、にょうぼうとキクチはどうだろう。

にょうぼうはキクチの顔を知ってる。

キクチはにょうぼうの顔を知ってる。

「面識がある」んだけど、コレ何て言えばいいんだろう?

 

たしかに広義で間違いではないんだけど。

容れものがデカすぎるというか。

非公式にしろマラソンで1時間台を叩き出したキプチョゲに。

「サブフォーランナーではある」

ってぐらい、ピントがボヤボヤしてる、というか。

 

少なくとも、ギャグ厳禁の場で。

にょうぼうに「ああ、キクチとは面識ありますよ」言われたら、多からずともギクシャクはするっていうか、キクチは少なからず「えええっ!!!!」ってなる案件じゃん?

 

 

こっからいきなり雑になっちゃうんだが。

「面識がある」ってその、オオタニサンとにょうぼうの中間ぐらいのちょうどいい層がレンジ。

 

たとえば、AさんがBさんに「Cさんとは面識アリマス」と言ったとき。

シチュエーションによってその距離感・濃さは全然変わってくる。

 

とりわけおしごとだと、それにおける作用も変わってくる。

「実は大学のゼミがおんなじだったんっすよ」ってこともあれば。

「むかーし、異業種交流会的なパーティで名刺を交換したっけなあ」ぐらいのこともある。

さまざま。

 

 

「たとえば」ばっかになっちゃってアレだが。

マラソンを走ってたころに、マラソンやブログを通して知り合えたかたがた。

とりわけ、名古屋とか近畿とか九州の「一度酒を酌み交わしたことはある」というかたがたとか。

ブログとかを通してお互いよおく知ってるつもりだが、ハンドルネームでしか存じ上げないかたがた。

 

勝手な親近感は抱いてるものの。

ある意味で「よくわかんねえ小学校の同級生」より何十倍、思い入れはあるものの。

そもそもおなまえすら、よしんばマラソン以外の生活実態すら知りもしないから。

「距離感・濃さ」という尺度になりづらい。

 

それこそがいいとおもうんだけどね。

 

それを厳密に言おうとしたら。

「面識がある」のどこらへんなんだろうな?

 

ふと考えちゃったりしてな。

 

 

オチも含蓄もへったくれもねえんだが。

ふと考える必要性もねえんだろうが。

 

そういうもんだよねえとおもったおもいましたとさ。

ってだけの話である。