キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

機微がわからないのはダメってことなんすか?

全日本大学駅伝の関東予選の間隙をぬって観た大河ドラマ「光る君へ」の話なんすけどね。

 

今回(第25回)、こういう話があった。

 

前回、叔父?親戚?の宣孝(佐々木蔵之介)にいきなりプロポーズされ。

フィアンセ的な立場になったヒロイン・まひろ(吉高由里子)。

 

宣孝はその旨を道長(柄本佑)にドヤ顔で?報告し。

数日後、まひろのお家に道長の遣いから祝いの品の数々が届けられた。

 

祝いの品に添えてあった手紙を読み。

(まひろはそれは筆跡から道長が書いたのではないと認識して)

すぐに返事の?手紙をしたため出す。

 

しかしして次の晩。

宣孝がまひろの褥?を訪れ。

とうとう2人は名実ともに?結ばれたんでしたとさ。

まひろが手紙を出した相手は宣孝だったんでしたとさ。

 

という。

 

 

いらねえ情報にそれると。

 

バカキクチは。

史実として「まひろ(紫式部)が宣孝と結婚する」ということを知ってる。

2人の間にできた子どもは大弐三位(だいにのさんみ、と読む)。

 

クソ中途半端な百人一首ずきとしては。

紫式部は、かの源氏物語の作者ってよりぜんぜん先に。

「めぐりあひて 見しやそれともわかぬ間に・・・」を詠んだひととして認識してて。

これは、キクチ内で百人一首の中でも確実に5本の指に入るぐらい激烈にすきで。

 

かたや、大弐三位も小倉百人一首に選出されておって。

「有馬山 ゐなのささはら 風ふけば・・・」を詠んだひととして認識してて。

これも、キクチ内で百人一首の中でも確実に5本の指に入るぐらい激烈にすきなので。

 

大河ドラマの話の流れとは別に。

むかしその2人が母娘って知ったとき、もう超絶wktkしたし。

 

 

話を戻すと、そういう史実があるので。

紫式部(の歌)&大弐三位(の歌)ずきとしては。

「タイムパラドックス?を起こさないでくれてありがとう!!!!」

 

とだけおもったのが、第25回の感想。

 

 

あ、あるじゃないすか。

というか、別にdisりたいわけじゃなく、大河ドラマって史実を下敷きにした「ノンフィクション風」というか。

言ってもむかしのことだから、ディテールはどうしても創作を入れ込まなきゃなんなかったり。

 

あまつさえ、今回の時代設定は平安中期っていう1000年以上前のことだから。

よけい史実としてわかってるぶぶんはかぎられてて。

そこをいかにちゃんとドラマとして仕立てていけるかってのが、たぶん制作陣の最大の課題で。

 

でいて、ここまで適度なメルヘン(完全なフィクション)を織り込みつつも、それが過度にならないとてもいい塩梅で進んできてるので。

フィクションに寄りすぎてタイムパラドックスが起きてるわけでもないので。

 

キクチは毎週、楽しみに視聴しておるんだが。

 

 

と、いままでとうとうとほざいてナンだが。

そんなことは、どうっでもよくって。

ここで言おうとしてたことのただのマクラで。

 

 

あ、上記した相変わらず雑すぎるあらすじを補足すっと。

(これは「ここで言おうとしてたこと」にかかわる大事なことなので補足すっと)。

 

ドラマ的に。

かつて若いころ、まひろと道長はすき合っておって。

実際、やっちゃったりなんかして。

駆け落ちしちゃおうかぐらい盛り上がったときもあったりして。

 

現在は、もうお互いに世間的にいろんな役割を担う身分になってるんだけど。

道長には正妻のほかにお妾さんもいて、それぞれに子どもがいたりすんだけど。

 

いまだに、まひろの心には道長がいて。道長の心にもまひろがいて。

だから、上記した宣孝が道長にまひろと結婚することを報告にいったときには、道長は内心ちょっとざわついたりしてたり。

 

 

。。。

 

 

ってとこまでが、リアルタイムでドラマを観ててキクチがキャッチできた情報な。

 

何を言いたいかというと。

いま始まったことじゃないが、キクチは人間の心の機微。

とりわけ、男女間のホレタハレタ的なことを察知する能力がきわめて低い。

 

さっぱし、わからない。

 

その「察知する能力がきわめて低い」ということ自体は十分自覚しておるんだが。

自覚したからといって、その能力が改善されることはないので。

 

たとえば身近でも。

「うおお、あいつらつきあってたのか!!!」

「ぬおお、あいつら結婚したらしいぜ!!!」

キクチがわめき出したときにはすでにそんなんこと、もうとっくに全員が知ってて。

「え!? おめえいまさら???」ってなられる。

 

アイアム・ラストマン。

というのが、ここ35年くらい織り重ねなされてる風物詩。

 

 

逆に問いたい。

おめえら、なんでそんなヒトサマのうごめきがわかるの???

 

 

で、今回の大河ドラマに話を戻すと。

 

あ、たぶん上記した(リアルタイムでキャッチした)雑なあらすじは。

「なんで宣孝がわざわざまひろとの結婚を道長に報告しに行ったか?」

「なんでそれを受けた道長がよこした祝い品が事務的だったのか?」

「それを受けてまひろは誰に文をよこしたのか?」

「そしてその晩、まひろの褥に現れたのはなんで宣孝だったのか?」

みたいな機微がわかってりゃ、一発解決なのに。

 

(平安時代って、うすぎったねえ言葉をつかえば「夜ばい文化」だから)

(女性が男性に「お待ちしてます」的な手紙を出すことは)

(すなわち、アノ意味での「待ってまーすっ」なんだよな)

 

そこを「うおお、やっぱり佐々木蔵之介キター!」

「だってこれが史実だもんな」

しかおもえなかったのって。

 

ドラマの楽しさを味わう的には。

どう考えても半減以下だよな。。。

 

 

そういうまひろと道長と宣孝の上記機微を。

ネットが湧いてるのをながめてて、はじめて理解して。

「ああ、そういうことだったのかあ(無抑揚)」

ってなったじぶんが、憎たらしくてしようがないのねw

 

でも、わかんないもんはわかんないんだからしようがないし。

 

とはいえ。

「じゃあ、そんなおれさまちゃんにもわかるように言ってよ!」ってのも、風流じゃないというか無粋というか、その行間にこそアミューズメントがあるんだぜってことは何となく知ってるから、そんなことはとても言えない。

 

 

これって、何なんだろうか?

 

感受性が足りないのか。

そういう面での経験が不足しすぎてるのか。

 

機微を感じ取ろうとするアンテナをもっと高く張ればわかるんだろうか。

 

ひょっとしたら、おもくそポジティブシンキングしたら実はネタ的にすんごくオイシイことだったりして。

むしろその不感症をもっと極めろっていう神の啓示なのか。

 

そうだとしたら、話が壮大になりすぎて困る!

ただふつうにドラマを等身大で楽しみたいだけなのに。