だいぶ間が空いたが、厨二的ブログとの向き合い方(?)のつづき。3話中3話。ラスト。
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文章をものす。
という作業のなかで、多かれ少なかれ推敲って絶対にすんじゃん?
大仰に立ててしまった表題の結論を先に言うならば、推敲に「音読」以上の手段はないとおもうんすよ。
じぶんで声に出して読んでみれば、じぶんの能力内で気づきうるアラは、黙読よりだんぜんくっきりはっきり浮き彫りになる。
それが、「音読は黙読より時間がかかる」からなのか。
「視覚だけでなく聴覚・触覚も駆使するから」なのか。
どっちかどっちもかはわからんが、そういうもので(勢い100)。
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キクチは中高生のころ、エコーズっていうバンドがすきで。
エコーズはキクチが中学生のころ、解散しちゃったんだが。
ヴォーカルのひとはその後もソロデビューしたり、深夜ラジオのパーソナリティをしてたので、しらっと追いかけてたりして。
で、やがて小説を書いてるみたいな話になり。
それがけっこうメジャーな新人賞を獲り。
ちょっと経ってキクチが大学生のころかな、芥川賞を獲った。
これは深夜ラジオで本人が語ってるのを聴いたんだか、エッセーで読んだんだかは忘れちゃったが。
「次に出す小説は、ガチで身を削って身を削って全身全霊をかたむけた」みたいなことを話してて。
結果的に芥川賞を獲った「海峡の光」を出す際。
これで本にしますよーっていう最終稿のゲラを、著者の辻仁成はあらためて最初から最後まで音読して、納得度的に引っかかる部分を徹底的に洗い出したんだとさ。
(「海峡の光」って文庫本で150ページちょいの、まあ長編ではないものの、そう短くもない作品じゃん? )
ってのに軽く衝撃を受けた。
「そうだよね。そこまでするのが本来あるべき姿だよね」ナドト、知ったようなクチをききつつ。
(いらねえ情報的には)
(じぶんがいまのしごとをしたいとおもった)
(3つの動機のうちの、これが1つである)
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原初に立ち戻る的には。
こんな辺境クソブログみたいな日記くずれを逐一、アップ前に音読までするのは現実的ではないし、たぶん絶対しないであろう。
ただ、「言わんとしてることを実際ちゃんと言えてるかどうか浮き彫りにしたい」という文脈では。
そんくらい、てめえのなかで噛み砕いて噛み砕いたものをアウトプットすべきかなとはおもってて。
いや、「すべき」っつうとかてえな。
「したい」「想いはある」程度にハードルを下げとくかな。
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結果的にワケワカメなぽえむに終始しちまったが。
せっかくおめおめ人目にさらすわけでもあるし。
そんくらいの「雑じゃなささ」は目指そうと。
おもうだけおもいましたとさ。