キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

超絶人見知りと経過時間、みたいなこと

昨日まで、じぶん以外に誰のニーズもない同窓会シリーズを連ねてきて、たぶん明日?明後日からもまた、じぶん以外に誰のニーズもない別の同窓会シリーズに突入するんだろうが。

キクチにとっての永遠の課題?である人見知りについて、大学の同窓会を通じて実感したことをほざくというただの備忘録。

 

 

こないだ、朝ドラ「虎と翼」の特番で、ヒロイン役の伊藤沙莉が語ってた兄・直道役の上川周作のめんどくささ(人見知りぐあい)ってのがすげえしっくり来たのでかいつまむと。。。

 

人見知りの上川周作は、ある程度打ち解けても時間を置くとそのつどまたゼロスタートになっちまうと。

 

毎日リセットなんてことはないんだろうけど。

たとえば、ドラマの撮影ってストーリー順じゃなくシーン別にするらしいじゃないすか。

何話分かの、スタジオで家のシーンをガーっとまとめて撮って、学校のシーンをロケでガーっとまとめて撮って、川のシーンをまとめてガーっと撮る、的な。

 

兄・直道はだいたい家にしか登場しないから、次の家のシーン撮影まである程度の日にちが空く。すると、次の家のシーンの撮影のとき、こないだけっこういいところまで打ち解けられたのに、人見知りスイッチがリセットされて、またすげえよそよそしいとこからリスタートしなきゃなんない。

ってのが、そのつどなんだと。

 

(あ、「虎と翼」は超絶名作になりうるな。俳優が芸達者ぞろいってのもそうだけど、なにしろ脚本・演出がいちいちものすんごくいい。ってのはいつかどこかで必ずほざこうとおもっておる)

 

 

この感じがわかりるひとは、真性人見知りだろうってことを言いたいわけで。

 

 

いっぽう。

こないだの大学時代の同窓会。

「○○がキクチと話したがってるよ」

1次会の中盤ぐらいだったかな、ジョーダマチャンネーパイセンに呼び出されて言われた。

 

○○は同級生オンナ。なんつうか、すげえ感覚的だけどそれは言外に「わたし、キクチに謎に避けられてるっぽいんですけど」的なニュアンスを含んでる感じ。

 

(そもそも「そんなにおれさまちゃんと話してえんなら、そっちから話しかけてくりゃいいじゃんかよ!」だし「それをジョーダマチャンネーパイセンにチクって(グチって?)どうしろっつうんだよ!」なんだが、ここでは措いて。)

 

 

こちとらからすりゃ、そりゃまったくのたまたまであり誤解である。

むしろ今回カノジョが来るらしいって事前に聞いてて、会えるのすんげー楽しみにしてたし。

そのあと、ふつうに話したし。

記憶にないけどLINEも交換してあったし。

 

で、たまたまというのが真実なんだけど。

上の朝ドラの文脈につなげると、会うのがカノジョの結婚式2次会以来10何年ぶりなもんだから、キクチの人見知りスイッチがリセットされちゃってたってのはあるかもしんない。

 

 

あるいは。

下級生の女の子?に言われがちなのは。

「キクチは酔っぱらわないと話しかけてくれない」。

 

今回も「ほらまたやっぱり」的な空気になったし、とちゅうから逆に1女(キクチが4年のときの1年生とか3年のときの1年生)の群れに単独で乗り込んでってるさまを見て。(それも恒例の風景らしいんだ、どうやら。。。)

誰かが「キクチ、調子出てきたな」なんて言ってたりしたが。

 

半分当たりで、半分外れである。

「調子が出てきた」のは、ある程度の時間が経過して場の空気に人見知りがこなれてきたからであって、「気のちっちゃいぼくちんが、アルコホールの神様の力を借りてがんばるぜぐへへへへ」だからではない。(と信じてる!)

 

まあ、そんなのこっちの勝手な理屈でしかなく。

「学生のころもきょうも、酔っぱらってからのみ話しかけてくるキクチまじキモい」という後輩さんたちの客観的なキクチに対するイメージは、ビタ一文揺るがないからどうでもいいっちゃどうでもいいんだけどな。

 

 

この2つの事例がいかにも象徴的で。

オトナになって人見知りもそれなりに、ちょっとはこなれてきたかもっておもってたけど、やっぱ30数年前から一歩たりとも微動だにしてないことが判明して。

 

じゃっかんビビったし、50になってコレってことはおそらく一生コレなんだろうなと悟った。のであった。

 

 

。。。

 

 

身もフタもないことほざくと。

それでも(15年も20年も会っていなくても)、ひとによっては、ごくまれに瞬時に打ち解けられたり、初見で「うおお! ひさしぶりー!!!」なんてこっちから近寄っていけるひともいるじゃないか。

 

ということに、いまさっき気づいてしまった。。。

 

なので、この問題自体がそもそも、人見知りとかこなれるまでの経過時間とはいっさい関係ねえ。

あまつさえ、何のロジカルさもない「フィーリングの合う合わない」に拠るものだとしたら、ぼくはこれから誰となかよしづらして生きてゆけばよいのでしょうかw

 

そんなこんなで。

今夜の小学校の同窓会はどういうテンションで臨めばよいものだろう。

 

 

(蛇足的には)

(ゆうべ、にょうぼうがムスメっこにその会のことを話してて)

(「パパはやっぱりアルコールの力を借りないと人見知りすぎて誰とも話せないw」的なことを言ってたから)

(「違うよ!」って、上記したような時間の経過によるこなれ度みたいな解釈を開陳してみたらば)

(開始2秒ぐらいで相槌が明らかに「クソどうでもいいよ」を示す相槌のための相槌になったので)

(説得力ゼロなのかなあ)

 

(とおもったと同時に)

(今度にょうぼうがどうしてもおれに話したいきょうのおもしろかったトピックスとか、深刻な話をし出したら、話し始めて2秒後以後はぜってーおんなじ相槌を打ってやるからな!)

(おもった)

(おもいましたとさ)