キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

火の鳥

火曜日。いっちさんとぬまっちさんと横浜でウタゲをカマした。

 

横浜駅のことがまったくわからないので、

っつったら、改札のとこでお2方が待っててくだすって驚愕&大感謝した。

 

んで、(東横線の改札は地下にあるので)地上に出るとき。

「階段があるけど大丈夫ですか?」言われて。

リアルタイムではピンと来なかったんだが。

 

これか!(↓)

つくばマラソンの帰り道。

伯父宅に戻った頃から筋肉痛とヒザとぬーん(ケツ)が猛烈にキテ。

駅の下り階段で、手すりにしがみつきながら悶絶して進むシマツ。

 

「4年前」というのは空前絶後の4時間29分49秒を叩き出した2019年のつくばマラソンな。

そんときぐらい、ダメージを受けてた。

 

のを、心配してくだすってたんだろう。

 

ヒザは翌月曜にはだいたい何ともなくなって。

この火曜日には筋肉痛もほぼなくなり、日常生活には何の支障もきたさない程度になってた。

 

ので、横浜駅の上り階段ももうラクショーになっておった。

 

 

いっちさんがご存知の豚の名店に連れてっていただき。

これでもかというほど、コラーゲンとアルコホールを摂取した。

あまつさえ、目の前にはいっちさんという眼福。

どうやって帰ったかは、まったく覚えちゃいない。

 

帰りに多摩川のサイクリングコースから斜面を転げ落ちて。

泥だらけになったり、おでこをすりむいたのは何となく覚えてる。

ぐらい。

 

 

まあ、そんくらい楽しい宴席だったということで。

(といっても、中盤?終盤?の記憶はまったくないんだが)

 

そこでたまたま。

ぬまっちさんと日大フェニックスの話をちょこっとしてて。

今朝、起きたら日大フェニックス解散というニュースが出てたので。

いろいろビビった。

 

まあ、違反タックル以後、

ガンガン風向きがおかしくなり。

とどめに寮でイケナイ葉っぱを集団吸引してたってことが明るみに出たから。

しようがないというか、至極当然の顛末ではあるのだが。

 

もともと、フェニックスのファンなので。

残念というか、くやしい気持ちも少なからずある。

 

 

ここからは、いらねえ自分語り。

 

 

大学2年生のときだったかな。

「高校生の弟がアメフトの全国大会でベスト4になった」

同級生から聞いた。

そんで、大学は日大に進むことが決まってると。

 

当時、アメフトのことはほぼまったく知らなかったが。

子どものころ、スポーツニュースで。

日大フェニックスが毎年のように優勝してて。

社会人にも勝ったりしてることぐらいは知ってたから。

 

たんじゅんにすげえ安く「すげえな」おもった。

 

日大の監督は篠竹幹夫。

明治の野球部の島岡御大やラグビー部の北島監督と並び称される、学生スポーツ界の名伯楽。

 

 

大学を卒業して2年か3年経った夏。

その同級生とおつきあいすることになり。

ちょうど今ごろだったかな?

 

「弟の試合を観に行こう」ということになった。

 

のちの義弟は大学4年生になっており。

関東のプレーオフ、準決勝まで勝ち進んでいた。

相手は中央大学ラクーンズ。

キクチのアメフト初生観戦。

 

終盤に中大の怒とうの反撃に遭い。

冷や冷やしたものの、何とか決勝進出。

そこで初めて、日大のショットガン攻撃というものを目の当たりにし。

(QBが縦横無尽にパスを投げまくるという日大伝統のオフェンス)

 

「カノジョの弟がいるチーム」とひいき目は抜きにしても。

一気にアメフトというか、日大ショットガンの虜になった。

QBの桂選手がとにかくカッコよかった。

 

なお、義弟はこの秋のシーズン。

ケガがひどくてあまり試合に出られず。

この準決勝も、決勝に向けた温存という形で出場しなかったとおもう。

(負けてたらどうなったんだぜ?)

 

 

そりゃ、決勝戦も当然、観に行きまさあな。

 

甲子園ボウル出場を賭けた決勝戦、川崎球場。

相手は法政大学トマホークス。

何年か連続で甲子園ボウルに進んでる王者。

 

日大フェニックスは、子どものころ観た大正義状態ではなくなっており。

義弟が大学生になってからも、甲子園ボウルには進めていなかった。

ただ、春の定期戦では勝ちかけて引き分けてたので、じゅうぶんワンチャンあるとおもって臨んだ。

 

家からクルマで行って。

川崎球場の隣の公園の脇に路駐したんだっけな。

そんな、まだ大らかなだった20世紀末という時代。

 

 

この日、義弟はスタメンで出ておった。

っていうか、それよりなにより。

試合開始前に、コイントスとか審判への挨拶をやるってんで。

両チームの代表が4人ずつ、グラウンドの真ん中に出て行くんだけど。

 

副キャプテンだった義弟は、そこに加わってることをすごく誇りにしていて。

準決のときもこの決勝のときも。

まずそこを見てくれみたいなことを盛んに言っておったっけ。

 

 

試合は日大優位で進んだ。

第2Qの途中までで3タッチダウンを奪い。

一時は20-0にまでなった。

 

前半終了間際にトマホークスが1TDを返し。

20-7で折り返す。

 

ハーフタイムのとき。

キクチの気持ちはすでに、数週間後の甲子園ボウルに飛んでおった。

 

「これだけ高校野球すきなおれさまちゃんが」

「よもや、初甲子園がアメフトとはw」

「いや、それも悪くないな」

試合が終わったらソッコーで宿と新幹線の切符をとっとかなくちゃ!

ナドト。

 

 

しかしして、後半。

前半、あれだけハマりまくってたフェニックスのオフェンスもディフェンスも。

ことごとく法政に阻まれ、突破されてった。

 

20-14になったとき。

「次に点を取ったほうが主導権を握るんだろう」

とおもってたらば、トマホークスの逆転タッチダウン。

 

第4Q、20-21だったときかな?

日大の攻撃は、エンドラインまで数ヤードの絶好のチャンス。

ここでQBからボールを受け取った義弟が、ライン陣の上を飛び越える逆転のタッチダウンを試みる。

も、阻まれ得点ならず。

 

その後、法政に追加点を奪われ。

とうとうプレイ中、患部を再び痛めて義弟が引っ込む。

にょうぼうは試合のゆくえなんかより、弟のことが心配で心配で胸がいっぱいになり。

 

キクチのなかでも実質そのとき、試合が終焉を迎えた気がした。

 

けっきょく、20-28。

日大フェニックスのひさびさの甲子園ボウルも

義弟の甲子園ボウルの夢も破れた。

 

 

ってんで。

四半世紀ぐらい、日大フェニックスを応援してたので。

いっとき、入替戦になったときには時代の流れを感じたし。

のち、甲子園に復活したときは狂喜乱舞したし。

ひっさびさに甲子園で勝ったときは、そりゃ酒が進んだ。

 

が、今回、こんなことになっちゃてもうね。

 

 

何百回も観ている動画がある。

 

日大フェニックスの全盛期。

関学との定期戦?後の、篠竹監督のインタビュー。

超絶名言中の超絶名言。

www.youtube.com

 

関西で京大ギャングスターズが台頭し、

盟主・関学ファイターズが苦戦を強いられてた時代。

 

「フットボール界の空は青か赤であったはずなんだ」

(「最近は鈍色だけど。。。」)

 

 

甲子園ボウルの頂上決戦は「赤と青の戦い」といわれている。

赤=日大フェニックス

青=関学ファイターズ

(鈍色=京大ギャングスターズ)

 

上記の篠竹監督の言葉には、関西学院大学に対する最大限の敬意と叱咤が込められていた。

けして懐古趣味じゃなく、そういう日大フェニックスが大すきだったんだ。

対戦相手は「相手」であって「敵」じゃないんだよね、やっぱし。

 

アメフトが強い弱いじゃなく、

関学(相手)に対する敬意を忘れちまったことから

フェニックスの凋落がはじまった。まさに。

 

しかし、フェニックスがなくなる日がくるとはなあ。

ジャイアンツや自民党がなくなるようなもんじゃん?

「そんなこと、現実にあるう?」ぐらいの。

 

 

あ、ネタ的には。

ウタゲの帰り道にすっ転んでおでこをぶっつけたとき目の前で飛んだ火花と。

火の鳥・フェニックスをつなげてオトそうかとおもったが。

 

うまくつなげられないし。

言うほど、うまくもおもしろくもねえからやんないでよかったデース!