キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

無常、みたいなこと

あ、全面的にぽえむなんだけど、おセンチになるとかそういうんじゃない。

 

えいさんのブログで知った。

eizack.hatenablog.com

 

古河はなももマラソンって1回しか出たことないんだけど。

生涯ベストを出した大会で。

遠い昔の話ではあるが、当時はけっこうな決意をもって臨んだので。

それなりの思い入れはある。

 

なので「終わっちまったのかあ」とはおもった。

が、それだけ。

 

 

別にクールぶりたいんではなく。

物事には始まりがあれば必ず終わりがあって。

もっと言えば、終わりがなくてはならないもので。

 

市民マラソンブーム的なものもすっかり過去のものとなったサッコン。

まあ、しようがないよねって感じで。

(上記リンクえいさんのブログにあるように)

(もう収益的なものが見合わなそうだから、という理由だから)

(そりゃしようがないとしかいいようがないじゃん?)

 

 

クールぶりついでに言うならば。

ブログというメディアが下火になってきたころ。

ブログ村でクソおもろいブログを書いてたひとたちが。

みんなわりといっせいにいなくなって、ブログ村が残りかすみたくなって。

 

それまでは玉石混淆あわせのんで、新着記事をすべてチェックしてたのを。

もうやめちゃおうっておもったときのほうが、てめえのなかでの一時代が終わったのかな的には衝撃がデカかった。

ある意味で。

 

 

なんつうか。

毎日が楽しくて楽しくて。

「こういうのがいつまでも続くんだろうなあ」

みたくおもってるぐらいのときってのは実は楽しさの絶頂期で。

 

逆に言うと、(クソほど使い古された嫌いな言いまわしをもちいると)。

絶頂期ってすでに「終わりがはじまってて」。

 

実際、ブログ村に関しちゃそうだったし。

汎用性が高いっちゅうか、ほかのこともわりとそんなん気がする。

 

 

ので、話を戻すと。

「古河はなもも終わっちまったのかあ」以上の感慨はない。

 

あとは、そういう遠い日の花火的なことを、どうおもうか。

なんだが、けっきょくさあ。

時が経ちゃ、わりとすぐにきれいさっぱり忘れていままでどおりの変哲もない生活を送るわけじゃん。あたかも何事もなかったかのように。

 

まあ、いなくなっちゃったひとにも。

それぞれいろんな理由があるんだろうし、それぞれがいまよけりゃそれでいいんじゃん?

以上に、言えるべきことはねえでさあな。

 

 

個人的なことをほざくならば。

キクチにとって現在、マラソンやブログを通じて知り合ったひとは。

齢49にしてきわめて貴重な、ある程度齢いってから知り合えた利害関係のまったくないひとたちってことで。

 

もし、10年ぐらい前にマラソンを走ってなくてブログを書いてなかったら。

を想像すると、けして大げさでなくゾッとする。

ぐらい、得がたい。

あまつさえ、てめえの生活圏とはまったく関係ねえ、津々浦々にそういうひとがめっかったとか、もうねミラクルを与えてくだすった。

 

 

そういうひとで、いまもなおつながらせていただいてるひととは、あわよくばこれからの余生、ずっといいおともだちとしてお付き合いいただけるのかもしれない。

キクチが死ぬまで、酒場でバカ話をしながら酌み交わしたり、縁側でひだまりに包まれてお茶をすすったりなんかしながら。。。

 

そうなれたら、ソレ最高!

ぐらい得がたい。

 

 

ただ。

同時に覚悟もしている。

 

そんなもんは砂の上の楼閣みたいなもんで。

ちょっとしたボタンの掛け違いや、誤解や、おのおのを取り巻く環境の移り変わりによって、驚くほどあっさり瓦解しうるものだということを。

 

 

だから、残念な結末になったら。

「ま、そういうもんだよね」

っておもう準備はいつもしておる。

だって世の中は無常なんだもん、しようがねえじゃん?

 

あ、てめえへのダメージを最小限にするため?

 

 

なので、いまがすべてが瓦解しまくったとしても。

「もとの超絶クソブサ陰キャぼっちに戻っただけじゃん?」

と考えれば、そう大したことはねえわけで。

 

終わりっていつか絶対にあることなんだろうが。

もし本格的に実際に終わることがあったとしても、

「ああ、あるあるキマシタね。無常だしなしようがねえしな」

っておもっちゃえれば、いい。

精神的にラクだし。

 

でも現実、なかなかそうはゆかない。

「ひょっとしたら、いらねえ無常をわざわざ顕在化させたのは、バカキクチ、おのれじゃね?」

っておもうこともあったりとか、ね。