こないだのヨッチさんのウタゲで、マルコリーニの言。
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いや、これマジずっとおもっておって。
ムチ打ちになるんじゃないかぐらい、ブンブン首肯した。
しょせん「飲めなくはないけど、飲まない」には限界?があるので。
いっそのこと体質的に受けつけなければ、ハナから選択肢になく。
その時間ぶん、もっと有意義なことに充てられるんじゃないか、とか。
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たとえば、こんなキクチにだって。
「きょうはちょっと控えようかなあ」
ごくひんぱんに頭をよぎるときはある。
が、よぎるだけ。
日が暮れれば、ある意味、意思とは違うぶぶんが作動し。
おのずとおさけをせしめちゃうし。
だらっだら摂取してる時間がものっすごく心地いい。
いろんな意味で無駄でしかない。
形状記憶飲酒?がうらめしくてしかたがない。
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あるいは。
もはや、生活にアルコホールがガッツリ食いこんじゃってるので。
「きょうは飲むのよしとこうかなあ」
ごくたまに試みてみても。
ふだん飲んでるぶんの時間を
アルコホール抜きでどう過ごしていいかわかんなくって。もてあましちゃって。
けっきょく、近所のコンビニに駆け込んじゃう。
だめだこりゃ。。。
な、もんだから。
よしんば、じぶんが体質的に飲めないひとだとしても。その時間ぶんを有意義なことに充てられるはずもなく。
飲酒とは違う形で、だらっだら過ごして。
「このだらっだらが気持ちい!」
ってなってることであろう。
。。。
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要するにたぶん、ないものねだりとか隣の芝生が青く見えるのたぐいでしかなく。
たしかにかに。
てめえのくだらねえ半生をかえりみますれば。
アルコホール起因で、数知れぬ失敗や後悔や出費やうんぬんがあった反面。
アルコホール起点で、楽しいことや人との出会いや神様の力を借りたこともうんとあったわけで。
もし体質的にムリだったら。
たんじゅんにそういうものがすべて「なかったこと」になったら、いままで50年のうち30年分ぐらいがスッカスカの虫食いだらけで、実質22歳ぐらいのキクチ爆誕になっちまうのは、ちょっともったいない気もする。
アルコホールのおかげで、ぜんぜんクソつまんなくねえ人生を送ってきたんだろうなともおもう。
きょう、かんっぜんにぽえむだな!
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なのでたぶん、体質的にお酒が飲めないひとにも。
「あああ、体質的に飲めてたらなあ」っておもうことがあるかもしんないケド(妄想100)。
おそらく、そう大差はないっていうか。
「飲めなくはないけどすきなくせによわよわで、あまつさえ己を知らないから失敗や後悔を無限ループするキクチ」
になる世界線もありうる。
ってことは肝に銘じといたほうがいいぜ!
。。。おめえは誰だぜ!?
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ただ、最近また摂取量があきらかに増えてきてるので。
そこらへんはちょっとちゃんと考えなきゃなとはおもってる。
よぎるだけ???