キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

ひょっとしてキクチはブログをやめたいんだろうか?(キョライ)

今般の更新一時停止。

 

前にほざいたように、目的は生活習慣の改善だったり。

その「生活習慣の改善」ってのは。

日々、過ごしてるなかで知らず知らずのうちについてしまった習慣?クセ?をリセットする(習慣剥がし)ためのもんだったりしたんだが。

 

さっき、気づいてしまった。

「ひょっとしてキクチはブログをやめたいんだろうか?」

 

 

はしょらずに言うと。

「10年来しみついちゃった、ブログネタを考えて・書いて・更新するという面倒さをこそ、キクチはまず、真っ先に剥がしたいがありきで一時停止したのではなかろうか?」

 

 

いやいや、そんなわけないじゃないすかあ。

と言いたいところだが、ショージキ。

「まったくそんなことないっすよ」

「あるわけないでしょ」

とも言い切れないじぶんがいる。

 

ということに気づいて、ビビっておる。

 

 

ブログを続けていることに、実利的な意味なぞ何もない。

(「せっかく書いてるんだから、おもしろくしたい。読まれたい」とはいまだにおもってるものの。)

(だからといって、より読まれるための手立ては何も打ってないし打つ気もねえし。)

 

おのれの承認欲求的なものも、存在の誇示的な意図も、ブログに関してはだいぶ前からとっくになくなってる。

有用な情報を提供できる経験も知恵もない。

 

なので、ただ書いてるだけ。

小学生のときからつけてる日記の延長線上で。

それの、よりによって公開版ってだけ。

 

言葉の墓場の埋立地。

液状化しまくり。(←ワケワカメ)

 

 

「よりによって公開」って意味では。

やめちゃおう的なことはこれまで何百回も何千回も考えたし、いまも考えてる。

だって、じぶん以外には必要も需要もねえもん。

 

「じゃあ、何でやめないんだろう」って話になる。

(おのれのなかで、勝手にな)

 

 

(あ、いちばんの要因は)

(「いまさら、やめるのがこわい」「やめるに値する決定的な理由とタイミングを見失っちゃってる」なんだが)

(それについて語り出しちゃうと、とりとめがつかなさすぎるので措きまする)

 

 

まあ、居場所っていうか。

アイデンティティみたいになっちゃってんのかなあ?

おもくそ風呂敷を広げっと。

 

 

ブログをやめちゃったけど、他SNSでつながってるひともまだうんといる。

マラソンをやめちゃったけど、他SNSでつながってるひともまだうんといる。

ブログをつづけてるけど、つながりが希薄になっちゃったひともいて。

マラソンをがんばってるけど、つながりが希薄になっちゃったひともいて。

ブログでしかつながってなかったけど、つながりも希薄になっちゃったひともいる。

 

そこのか弱い蜘蛛の糸みたいなものをつなげてたい。

断ち切れないでいる、ってことなのかなあ。

 

ん?

言わんとしてることから乖離して、どんどん感傷的、情緒的な物言いになっちゃってるけど、だいたいそんなん感じだ。

 

が、正直な吐露。

居場所だとかアイデンティティだとかって文脈に沿うと。

 

 

ま、やりたきゃやりゃいいんだろうし。

やめたきゃやめりゃいい。

 

そこには何の義務感も責任感も使命感も世界観もあるはずねえ。

どう転ぼうと、じぶんも他人も何も困らねえんだよな。

 

ぽえむが満開すぎる。