キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

イッヌ・つづき? #2 「ヨシダ」に父が込めた想い

「ヨシダ」というのは。

父が生涯尊敬してやまなかった師匠、吉田先生から拝借したのね。

のは、明白であった。

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ところでイッヌって。

なにかと、軽んじられる方向で言い表されることが多いじゃないすか。

 

その、主人に対する徹底的な忠実さっぷりから。

権力構造の忠実な下僕的なことを揶揄して

「○○の犬」って言ったりとか。

 

 

なので当初は、ちょっとだけ。

「いや、タナカじゃなくヨシダだろう」

って父が言ったのは。

いたずらの度が過ぎてるんじゃないかとおもった。

 

何十年も厳しい指導を受けつづけてきてる師匠への憂さ晴らし的な?

それを言ったときの父は、ちょっとドヤ顔だったしw

 

 

でも、父親の真意がすぐにわかった気がした。

 

あくまでキクチの妄想なんだけど。

これはけして「○○の犬」方向の意味じゃなく。

 

「そんだけ、このイッヌとともに歩みたい」だとか。

「(大尊敬してる師匠のおなまえを拝借した者と)いつも近くにいたい」という。

父のこの上ない敬意・謝意のあらわれではないかと。

に、違いないと。

 

 

実際、父親は。

家族の誰よりもヨシダをかわいがり。

 

父はヨシダが天に召されるより少し前に天に召されたんだが。

 

父が亡くなる前後、ヨシダはヨシダなりに何か尋常じゃない異変を感じ取って。

それまで見せたことはなかったキョドりぶりを見せたり。

かとおもえば、ものすごく神妙に虚空の一点を1日中見つめつづけるみたいな行動をしておって。

 

何を言いたいかというと、それこそが父がイッヌを(よりによって)ヨシダと名付け、大切にしていたことの何よりの証左であるような気がしている。すげえ何となく。

 

でも、ヨシダがおいたしたとき。

父が「コラ! ヨシダ!」って叱るときの。

「ヨシダ!」は、ちょっと愉快そうではあったんだがな。

 

 

ヨシダは相変わらず、超絶愛想がいいやつで。

自宅の門の前に犬小屋をしつらえてあったんだが。

番犬の役目なんてビタ一文、果たせず。

 

郵便屋さんや宅配便や、怪しいセールスのひとにもあまねくカラダをクルクル回転させながらしっぽをちぎれんばかりに振る、人懐っこさで。

 

救急車や消防車やパトカーのサイレンが鳴ると。

それに合わせて遠吠えするし。

 

川崎市は午後5時にスピーカーから音楽が流れるんだが。

それに合わせて遠吠えするし。

 

まったく、使えないw

されど、知らないひとにもみんなに一発で好かれる魔性の女で。

 

 

もともと、保健所で保護されて。

なんなら父親が引き取ってこなかったら。

ある一定の時間が経ったら、悲しい結末になってたかもしんなかったとこを。

もちまえの超絶愛想のよさで人生?を切り拓いたごとく。

 

 

いっぽうで、野良発祥なので。

首輪につながれてるなんてことは窮屈でしようがなかったんだろうな?

 

隙あらば脱走して。

そのほとんどが、

「家族全員が脱走に気づいてパニクって」

「血眼になって近所中さがしまわって」

「どうしても見つからなくって家に戻ったらば」

「犬小屋ですました‪顔のヨシダ、いたよ!」

みたいなことだったんだが。

 

1回、どうしても見つからなくって。

家族みんな途方に暮れてたらば、次の日。

犬鑑札を手がかりに、電話がかかってきて。

「お宅のワンちゃんは溝口で見つかりました」と。

 

 

当時、実家は川崎の向ヶ丘遊園ってとこにあって。

同じ川崎の溝口まではざっと5kぐらいある。

 

たぶん、何かの拍子でつないであったロープが外れ。

「うっひょー! アタシ自由だわ!」っててんしょんが上がり過ぎて。

溝口まで行っちゃって。

おさんぽのテリトリーからだいぶん外れてるから。

帰るに帰れなくなっちゃった。

みたいなことだったんだろう。

 

善意あるひとが見つけてくれて。

善意ある役所のひとが連絡してくれて、ほんとうにホッとした。

 

おとといのイッヌも。

ヨシダが5k離れた溝口まで行っちゃったみたく。

本来の居所からだいぶん外れて超絶ビッグシティの超絶豪邸まで来てたとしたら。

いまごろ、どうしてんだろう?

ちゃんとあったまってるかな? 飯はちゃんと食ってるかな?

 

。。。って思い始めると。

きょうもねむれなくなりそうなので、ヤバい。

器量よしで超絶愛想よしはヨシダとおんなじなので。

でいて、バカイヌヨシダよか全然賢い感じなので。

ちゃんとご家族のもとに帰ってると信じてる。

 

 

。。。

 

 

上記したように。

父がイッヌを「ヨシダ」って名付けたのは。

そういう意味合いが込められてたわけなんだけど。

それがある種「当然の流れ」としてキクチも受け止めてたんだけど。

 

 

ちょっと時が流れて、大学3年生になり。

(キクチが通ってたオワコン大学は)

(いや、そこにかぎらず一般的な流れなんだろうけど)

研究分野をより絞る「ゼミナール」に所属するシステムで。

 

詩、ポエムを専攻することにして。

アルチュール・ランボーの研究をしている吉田加南子先生のゼミにイッチョカミさせてもらうことになった。

先生ご自身も数々の賞を受けている高名な詩人。

 

 

春先、ゼミの歓迎会があって。

駅前の酒場に集合して。

まずは新入りの3年生の自己紹介からってなった。

 

「うちのイッヌも、ヨシダっていうなまえなんですよ!」

 

上記の父親の師匠に対するリスペクト度はよおくわかってるからそれを継承するていで。

でいて、奇しくもキクチまで師匠が父とおんなじ苗字の吉田先生だってんで。

先生との心理的な距離をこれからますます縮めたい・縮められるカナ?(←カナコだけに)(←コレ、吐瀉するほどクソつまんねえな!)っていう下心?も込みで。

 

ドヤ顔でカイチンしたらば。

先生がこれ以上ないわかりやすさで、一気に超絶不機嫌になりましたよねw

「あたし、犬????」

 

 

場にいた、同級生も4年生パイセンも院生パイセンも瞬時に凍りついて。

そのおかげでゼミで、キクチはすぐみなさんに名前を覚えてもらえましたよ。

 

父ちゃんのせいだw

つづく。