キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

決めつけはいかんよ、決めつけはw

この辺境クソブログをはじめてから唯一、一貫してるのは。

「その時点でいちばん考えてること・考えたいことを書く」ということだ。

 

ただ、この数ヶ月「その時点でいちばん考えてること」は。

ちょっと書きづらいので、というか公開するにはちょっとなあなので。

 

たまにダダダっと下書きを溜めておる。

 

おめえキクチよお。

ぜんぜん一貫してねえじゃねーか!

 

 

まあそりゃ、(ブログネタにするという意味で)どうしようもないこともありますわな。

 

いっぽうで。

クソ辺境のバックナンバーを俯瞰してみると。

そのときどきのおのれの関心事のウエート(日本語ぇ)にわりと忠実になってて。

 

たとえば、ジョギングのことを以前にも増して書かなくなったのは。

おのれの生活のなかでウエートがそれだけ下がってるということでもあるし。

かといって完全消滅したわけではなく、「すんげえごくたまには書く」程度にじぶん内でいまの距離感がほどよくなじんでるとも言える。

 

 

そもそも、狛江の片隅のおじいさんが走っただの走らなかっただのなんて、クソどうでもいいしな。

 

 

何を言いたいかというと。

別に「走ることなんか書かねえよ!」と最初から決めつけてるわけではないということ。

 

(ただ、「いまさら走ることについて書くのは何か気恥ずかしいな」とは)

(たとえば「たまには走ることについて書こうかな」ってなった日にちょっと逡巡するし)

(「ほかに何かねえかな?」ってなって、ほかにネタが見つかれば避ける)

(のは、ある、ある)

 

。。。

 

上記、カッコ内はいちおうの率直な心情吐露がこぼれ落ちただけのことなのでシカトいただくとして。

 

あらゆる物事に対して。

じぶんの経験や想いだけで決めつけることはしない。

を、最近つとに行動基準にしておる。

 

あ、コレって前にも何度かほざいたかもしんないが。

いま、そういうサイクル? フェーズ?になってる。

 

「てめえを信じろ!」と「てめえを疑え!」の定期的な永久ループ。

 

 

ことさら、おもうわけですよ。

あと1年ちょいで50になっちゃう身としては。

 

てめえのこれまでの小せえ狭え、取るに足らない、クソ拙い経験に囚われちゃうと。

たいがいのことは経験を基に、何とか乗り切れちゃえはするんだが。

そのの数倍もったいない取りこぼしをしてるんじゃねえか、キクチは人生もう終着しちゃったんじゃねえかって恐怖するんですわ。

 

なので、「聞くキクチ」。

キクキクチ???

 

。。。おもしろくもうまくも何ともねえ!!!!

 

 

おもしろくもうまくも何ともねえケド。

ちゃんと聞いて、受け入れ、認められるような体勢では常にありたい。

そういう40代晩期でいたいのね。

 

「柔軟性ありまっせ!」をアッピールしたくてしようがない!

 

 

うーむ。

雲をつかむような物言いだな。

 

 

ムスメっこの進路の決め方?考え方?にずっと超絶モヤモヤしておる。

 

彼女が考えて考えて出したチャレンジ方法なのだから。

それに対してクソ父親の価値観で測ったり、押し付けたくはない。

 

頭ではわかってるんだが。

決めつけはいかんのだが。

じゃあ、このモヤモヤはどうすりゃいいんだろうな?

 

ぽえむ。