キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

ひそかに誉れなこと

むかし、何らかの街頭アンケートを依頼されたことがあって。

その、個人情報をさらす欄に「○○代」ってあって。

たぶん年齢のレンジ。

「20代」とか「50代」って書く欄だったんだけど。

 

いっしょにいた後輩は躊躇なく空欄に「ドリフ世」と書き込んだ。

 

「ドリフ世代」

まさにジャストコレズバリだし、後輩なかなかイカすぜ!っておもった。

 

 

ドリフターズの仲本工事が死んじゃった。

 

 

ドリフ世代のど真ん中としては子どものころ、腹がよじれるほど楽しませてもらって。

大げさでもなんでもなく、ものの見方とか何をもっておもしろいとおもうかってのの基礎をドリフターズに叩き込まれたにもかかわらず。。。

 

いま、こういうクソめんどくさいじじいに仕上がった。

 

 

大学受験で二転三転して。

入学が決まって。

 

仲本工事がOBであることを知ったとき。

超絶昂った。

 

 

とりたてて優秀なわけでも特徴があるわけでもない小さな学校なので。卒業生があんま多くないこともあって。

仕事とかでおんなじ出身の人に出くわすと、ことさらてんしょんが上がるのが母校あるあるでもあるんだが。

 

やっぱり、「仲本工事がパイセン」ってのはものすごく誉れで。

 

 

それはどういうことかというと。

 

ドリフっていえば、やっぱフロントマンの志村と加藤茶じゃないすか?

よしんば、いかりや。

 

そんななか、仲本パイセンは一貫して引き立て役に徹してて。

体操運動のとき以外(!)はけして前に出ようとしない。

稀代のバランサー。

 

 

そりゃ、いかりやがいなければドリフ自体、なかっただろうし。

加藤茶のスター性や志村けんのカリスマ性がなければ、ドリフはここまで語り継がれる存在にはなれなかったかもしれないけど。

 

ひょっとしたらそれとおんなじぐらい。

仲本工事がいなければドリフは成り立たなかったんじゃなかろうか?

 

 

これは「小さい学校の希少なパイセン」というひいき目とかではなく。

 

20代後半だったか30代前半の、社会人としてちょっといろんなことが見え始めてきたころ、「あの仲本工事のポジションって実はものすげえ難しくて貴重なんじゃね?」ってことにはたと気づいて。

 

そしたら急に。

いつもニコニコしてる仲本工事の黒縁メガネの向こうの目は。

その場面場面や状況状況を冷静に見極めてそこでじぶんが果たすべき役割をちゃんと演じてたのかな? って妄想したら。

深すぎて背筋が凍るぐらい戦慄した。

ロンのモチ、いい意味で。

 

だって。

ドリフといえば「ビートルズ日本公演のとき前座をやった」ってのが、ひとつデカいエピソードでもあるんだろうが。

そんとき、ドリフのボーカルは仲本工事。

要するに、前に出られる実力を持ってはいたわけで。

 

でいて、あえて第二列にいつづけたわけじゃん?

 

 

。。。

 

 

仲本工事の訃報に触れた日にここまで書いて。

何度か推敲してアップしようかなとおもってたら。

SNSやネットニュースのコメントで、上記したようなことがけっこう書かれてたでござる。。。

 

「これじゃ、なんだかおれがそれらをパクったみてえになっちゃうな」おもうと同時に。

こういう仲本工事の偉大さはけして、クソおこがましい「おれだけが知ってるんすよ」のたぐいではなく、みんなちゃーんとわかってたんだってことを知って。

 

たまたまおんなじ学校の遠い、見も知らねえ後輩ってだけだが。

やっぱりすげえ誉れにおもった。

ので、ほぼまんまアップしとく。