キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

「マラソンは二度と走りたくない」

東京マラソンをゴールしたあと、新谷仁美が表題のコメントをしたじゃないすか。

で、案の定っていうか軽く賛否両論が巻き起こった。

 

 

本人の真意はわからないが、キクチは(じぶん比ごくナチュラルに)とても肯定的に受け止めた。

 

「ゴールできたぜ。やったぜ!」であり

「3ヶ月の準備じゃ太刀打ちし切れねえ。マラソン甘くねえ!」であり

「競ってくれた一山ちゃんありがとう!」であり

「ずっとマラソンを主戦場にしてるひと、マジリスペクト!」であろうと。

 

でいて、こちとらは。

さすがは新谷仁美!と同時に。

あの新谷仁美をもってしてもこんな短期間じゃ力を発揮し切れねえマラソンってやつあ奥深えな!っておもった。

 

 

キクチの解釈が正しいかどうかはわからないし。

正しいともおもってない。

ただ、そう受け止めたってだけだが。

ひいき目100を差っ引いても、ごくふつうの解釈の範ちゅうではあろう。

 

要するに、発せられた言葉の真意がどこにあるか探るのって、合ってるか合ってないか別にしても、楽しいしロマンも風情もあると考えておる。

 

 

ビートたけしが漫才ブームでブレークしたころ。

ふらっと浅草に師匠の深見千三郎を訪ねたことがあった。

破門にした弟子の、突然の来訪。

「おめえ何しに来たんだバカヤロコノヤロ」

「腹は減ってねえかバカヤロコノヤロ」

これは、けしておれの目の黒いうちは敷居を跨がせねえぞって意味じゃなく、ものすんげえ喜んで歓迎してるに決まってるじゃないすか?

 

「ラーメンでも食ってけバカヤロコノヤロ」なんつっちゃってね。

たけしもうれしくて「もう、師匠ったらあ」ってなっちゃう。

そういう機微。

 

わかりづれえ?

 

 

なので。

今回の東京マラソンの新谷の発言にしても。

肯定的だけどじぶんとはちょっと違う解釈に触れて「そういう考え方もあるんだ!」ってなったり。

否定的な解釈に触れて「そうもとれるよねえ」ってなったりするのも含めて楽しい。

もんだという考え。

 

 

気になったのは。

否定的な意見のなかに「ん?」ってなるものも少なくなくて。

(こないだの名古屋ウィメンズマラソンの安藤友香の結果との兼ね合いで、どっちかが今夏の世界陸上の代表になるだろうって話題の渦中なんだが)

「新谷本人がもう二度と走りたくねえっつってんだから、安藤でいいじゃん?」ってやつ。

 

 

まあ、そこには表題の発言もひっくるめたアンチ新谷的な立場が根本にあって、そこから発したアンチありきのあえての意見ってこともたぶんにあるが、ここではそれは措いて。

 

なんつうか。

「読解力がない」って言っちゃうと不遜かもしれないケド。

目の前に出てきた事象なり発言を。

そのまま受け止める(そのままでしか受け止められない)ひとって、あんがい多くね?

ネットの世界にかぎらず、身のまわりにも一定の割合でいるじゃん?

 

(上記たけしの例であえて「わかりづれえ?」って書いたのはそのため)

(じぶんで「わかりづれえ?」って書きながら、これのどこがわかりづらいのかさっぱし意味がわからなかったデス!)

 

 

いやいや、それにモノ申したいとかではない。

たんじゅんに「ああ、そういうもんなんだあ」と、じゃっかんの戸惑いも込めて。

って意味で。

 

でも、そのまま受け止めるマンの前では、少なくともほぼ妄想で成り立ってるキクチの行動や考え方は、だいたいぜんぶ否定的にとられちゃうのかな。

そりゃ生きづれえわクソつまんなそうだわで弱っちゃうな、とはおもった。

 

という、どこまで踏み込んで書いていいのかわかんないままうやむやに終えるぽえむ。