キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

第二段階?

ブログを下書きだけ連ねて更新してない件。

 

もう1ヶ月以上経ったので。

(経ったので? は違えかな?)

 

ともあれ、所期に「はがし」たかったブログに対するワケワカメな自意識とか、肩肘張ったぶぶんというのはもうすっかり完全になくなった。

その生活リズムが板についてきておる。

 

 

その生活リズムが板についてきておる?

そもそも更新してないだけでブログをめぐる生活リズムはほぼ変えてないんだから、板につくもへったくれもねえじゃねーか!

っていうね。

 

 

キクチがいまこういう状態だからよけい目に入りやすいんだろうか。

この間(かん)、「ブログを更新してない」に関する言及をちらほら目にした。

 

それらを総合すっと(↓)。

(ただしいっしょくたにしちゃったけどそれはキクチに都合のよい編集で、おのおのがたの想いはぜんぶ一致してるわけではないっていう但し書き付きで。)

 

○書くべきブログネタはあるんだけど。

○あたし「マラソンカテ」とは言えないほど走ってないしー。

○更新するのにちょっとだいぶ躊躇してしまう。

○でもねでもね。

○「おめおめ人目にさらす」を前提としてじぶんのおもってることをまとめる。

○ブログという場は得がたいのよね。

 

全方位的にぶんぶん首肯。

一方的に自分勝手にシンパシーを感じちゃう、ぐらい。

なんかむしょうにうれしいんだけど。

 

このうれしいっておもうのの理由はよくわからない。

 

 

。。。

 

 

いっぽう。

これはすげえビミョーな感覚なんだけど自意識とはちょっと違う意味で。

 

ブログを更新しない=存在をアッピールしてないっていう側面で。

じぶんの存在感?がじゃんじゃん薄まってる、時に消費されて消えてってる。

みたいなことに対するへんな感情が出てきた。

 

 

だからといって別にことさらてめえの存在をアッピールしたいってわけじゃない。

「キクチのこと、そんなかんたんに忘れないでねー」

ってのともちょっと違う。

 

という、なんつうか説明するのがむつかしい機微で。

 

 

。。。

 

 

ブログを書いてる副産物に。

「ネタの台本をまとめることができている」

ということがあるとおもう。

 

 

日々、じぶんが考えたまじめなことからクソくだらないことまで。

いちおうあげつらって1つのエントリーとしてまとめる習慣がついてるから。

たとえば仕事関係の、マラソンとか飲みとかブログとかとはまったくの無関係なひとと余談みたいなことをする局面になったとき。

数あるブログネタのなかからダイジェスト版をお届けする。

ということができる。

 

それが、いまはこんな「人と接触するのがどっちかっつうと悪」みたいなご時世だから、ネタを披露するどころかそもそも面と向かってヒトサマと余談する機会もきわめて限られる。

 

つまり、いくらじぶんの脳内で物語(ネタ)を紡ぎ上げたって、それらはアウトプットされることのないまま、陽の目を見ずに立ち消えてゆくわけで。

 

 

それって、「人目にさらす前提でブログを書く」動作のモチベーションとおんなじだな、と。

ん? 話がブログっていう土俵から一歩たりとも出てねえ?

ジャストライク・ただの進次郎?

 

 

もうすぐ2月が終わる。

2月は明日書けば、コンプリートすることになる。

1ヶ月まいにちブログを書いたのなんて、いったいいつ以来ぶりだろう?

 

たしかに「人目にさらす前提」みたいな緊張感?は楽しいけど、けっきょく下書きをつらねているだけのプレイにひとかたの物足りなさを感じはじめてきた。

 

わかりやすく言うと、はじめから下書きだとわかってるのに、人目にさらすていで書かなきゃいけないという矛盾。

 

 

3月になったら2月の分をこっそりアップしちゃおうかどうか、迷ってる。

 

でもそれってけっきょく、「キクチはまだここで息してますよー」をアッピールしたいだけなような気もするし、それは本意じゃないというか本意といちばん真逆にあることなので、非常におののく。