1年弱前にこんなんようなことをほざいた。
しかしここ最近のドラマ全般。
「伏線回収」がちょっと前に出すぎてやしませんかね?
その傾向はますますつおくなってる。
ような気がする。
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いまやってる朝ドラ「カムカムエヴリバディ」は親・子・孫3代にわたる100年の物語で。
親=安子(上白石萌音)
子=るい(深津絵里)
孫=ひなた(川栄李奈)
という3人のヒロインのストーリーが前編・中編・後編って感じで連綿されてゆく。
すんげえ大雑把にいうとひなた編は前2編に張られた伏線を回収するターンで。
(プロデューサー?がそんなんようなことを明言しておったのね)
孫・ひなた編の舞台装置としても、親・安子編を示唆するいろいろなアイテムや登場人物が散りばめられている。
ラジオとか英語とかあんことか時代劇とか野球とか足袋とか。
親・安子は岡山のひとで孫・ひなたは京都のひとなんだけど、親・安子の実家である和菓子屋さんの近くにあった荒物屋「あかにし」が、孫の代になってひなたの家の近所にあったり。
(でもあかにしの人たちはひなたの母親=るいが安子の娘だということは知らない)
きのうとうとうというか、行方不明になってた安子の兄・算太がひなたの前に現れたり。
(ただ、まだからんでないのでお互いがお互いのことを知らない)
もうひとつ何かちょっときっかけがあれば、話が一気につながったり物語のキモである安子とるいの心のすれ違いが解けたりするための下ごしらえは万全な感じで。
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要するに、「伏線回収がだーいすきな方々」(物言いw)がさあいよいよ?って色めきだつような展開になりはじめてて。
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キクチはドラマ本編の1日2回以上の視聴はロンのモチとして。
Yahooコメントやネタバレサイトを含めたネットの書き込みはあたうる限りみているし。
ツイッターで「#カムカムエヴリバディ」もほぼ隈なくみておる。
というクソいらねえ情報もあるんだが。
それらが伏線回収に向かっていっせいにwktkしはじめたなかで。
「このまま、伏線を視聴者が納得するような形できれいに回収しなくてもいいんじゃないか?」って意見があって、ある一面でぶんぶん首肯した。
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いわく、人生?世の中?ってそんなもんってことで。
たしかにかに。
まったく別の世界で生きてゆくみたいなことが大半ななか、ちょっとしたニアミスがあったり、「誰々さんは知り合いの知り合いだったのか!」「話を総合するとあなたとは学生時代、同時期におんなじキャンパスにいたんですね!」みたいな薄いつながりがまれにあったり、そのまたごくまれに「あなたがすごく仲よかったけどすぐ引っ越しちゃった幼なじみの○○ちゃん!?」みたいな邂逅があったりする。
というほうがナチュラルで。
からみ合った複数の糸がすべてきれいにほどけて一本につながるなんて、なんつうかちょっと几帳面すぎて逆に窮屈かもしれない。
「お互いすげえ好意はあったんだけど、けっきょく結ばれないままそれぞれ別の人生を歩む一人の男性と女性」の、そのちょっとしたすれ違いや、彼と彼女のおのおののその後のストーリーのほうがむしろ物語になる。ということもある。
(↑わかりやすくたとえようとしてワケワカメになっちゃったぱったーんぇ。。。)
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まあそこはドラマだから、視聴者がカタルシスを得られる展開になったほうがそりゃいいんだろうってのはガッテン承知のうえで。
その、伏線回収のための装置はいろいろそろったけど、けっきょくビミョーにすれ違ったり期待だけさせるためのミスリードとして、そのままストーリーが進んでゆく。
それらの装置は物語の連綿を示すアイコンとして機能し、バラバラなストーリーをフインキ的にムードとして束ねる役割を果たす。
ということも、このカムカムなんちゃらの今後の展開は別として大いにアリなんじゃねえの?
っておもったおもいましたとさってだけの話だ。
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。。。
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かたや、こんなんような意見もあった。
「劇中で起きる個々の想いや誤解、すれ違いをすべて俯瞰してる、神の視点としての視聴者」
これもこれですんげえ興味深い!
が、長くなっちゃうのでそのうち。
やんねえフラグぇ?