だいぶ前から、テレビ番組で芸能人が俳句をつくってきて競う?コーナーで、俳句の先生が「散文的」と言うのがすごく気になっていた。
大雑把に言うと。
俳句とか短歌のように語数など決まりごと・型があるのが「韻文」
決まりごとがない、いわゆるその他すべてが「散文」
その俳句の先生は、批判的な意味を込めて「散文的」という言葉を用いてるので。
「型がなっちょらん」
「(出来の悪い)エッセーみたいなもん」
と言ってる(と、受け取れた)。
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たしかに。
俳句にとって、型ができてるかできてないかっていうのは重要かもしれない。
よくわかんないけど、俳句的?な言葉のチョイスや並べ方もあるんだろう。
でも、それを「散文的」って言うのはどうなのよ?とおもってた(る?)。
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むかしむかしのあるとき。
職場に初めてお会いするライターさんがいらして。
いろいろ雑談をするなかでそのひとが自信満々に「散文ならいくらでも書けますっ」っておっさった瞬間、横にいたボスの目が死んだ魚になったのがわかった。
苦手な人と対したとき、知ってる人にだけボスが出す「ボクこの人ムリムリムリ」サインだ。
案の定、というか。
そのライターさんが帰るやいなや。
「ちゃんとした散文を書くことがどれだけむつかしいかもわかってないんだもんね」と吐き捨てた。
そんな原体験のようなものがあったから。
「(俳句の先生)んだゴルア!!!!」
とおもってた。
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かたや、「散文的」という語は、辞書的にはこういう(↓)。
さんぶん‐てき【散文的】
[形動]1 散文のような形式・趣であるさま。
2 詩情に乏しいさま。無趣味でおもしろみのないさま。「散文的な解釈」
1は「散文っぽい」っていう「散文」の派生語?
2はちょっとニュアンスが違って、「たんじゅんにレベルが低い、つまんねえ」の意味。
たぶん、2の意味合いで言ったんであろう。
無知ってこええしりーず。