表題のことは、とりわけ社会に出てからキクチにとってずっと最大のテーマの一つであると言ってもいい。
「伝え方」は「言葉の選び方」と言い換えてもさしつかえない。
そして今ジャストなうも、そのむつかしさに直面しておって。
って、なんだか雲をつかむような曖昧さだなっ。
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そんで、それについて考察?しようとしてるなかで。
ケーススタディっつうかなんつうか、むかし伯父貴に何度も訊かされた話を思い出したのでメモっとく。
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伯父貴は大正の終わりだか昭和のはじめごろ生まれの親分肌でガキ大将気質。
世代的には兵隊に行ったど真ん中で。
特攻隊上がりというか出撃ちょい前に終戦になり、死ぬ覚悟を固めてたところでハシゴを外された形になったので、その反動と「生き永らえてしまった」という戦友への申し訳なささとかがないまぜになって、復員してからしばらく、そうとう荒れてたらしい。
もともと下戸なのに、まいにち飲めない酒を浴びるように飲んでは暴れてたと。
当時まだ幼児だった15離れた父親もその記憶はあるらしくて。
「とにかくムチャクチャおっかなかった」と言ってたので。
伯父貴は喋りがうまいというか話がおもしろくて、ときには「ソレ、盛ってね?」っておもうこともしばしばあったが、あながちホラってわけでもないんだろう。
たとえば。
「戦後しばらくは無免許でクルマに乗ってた」
「だってさあシロシ、戦闘機にくらべりゃクルマなんておもちゃみたいなもんだもん」
ってぐあいに。
ほらね、なんかちょっとあやしいでしょ?
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そんな伯父貴にとって、兵隊時代というのは黄金時代のひとつで。
上官?として部下をたくさん従え、けっこういい想いもしたそうな。
上官っつっても士官学校を出たわけでもない叩き上げだからよくわかんないが、本人がそうだって言うんだから、伯父貴的にはいい思い出?なのかもしれない。
ことほどさように、軍隊にいたときの話はよく訊かされた。
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キクチが中学生のころ。
陸上部で長距離をやってると言ったら。
「シロシはおれの血を継いでるのかもしれない」っつって。
連隊?で5kとか10kの競走をすると。
いつもだいたい数万人中2番か3番だったとか。
一度10kで1番になったことがあるとか。
そのときは賞として、すげえごちそうにありつけたとか。
じじいのむかしの自慢話というよりは。
甥っ子キクチが陸上をやってることを喜んでくれてるとか。
甥っ子キクチをそういう形で叱咤激励してるとか。
そういうニュアンスでもって。
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話がそれすぎたでござる。。。
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玉音放送を聴いて、戦争が終わったことを知った。
ところが特攻を志願するような血気盛んな若者たちはおさまらない。
みんなで講堂に集合して、腹をかっさばいて自決しようということになった。
大勢の部下を前にして、朝礼台か何かの上から一演説ぶち。
いざ、腹を召しますかという段。
ついつい心の声が漏れ出たそうだ。
「かあちゃんや弟たちは帰りを待っててくれてるんだろうなあ」
「腹にこれ突き立てたら、痛えんだろうなあ」
そしたら一同、我にかえっちゃって。
いっせいにうわーってみんな泣き出しちゃって。
そのまま自決騒動はなし崩し的にうやむやになったと。
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。。。
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「伝え方」のケーススタディのつもりが
あきらかにちょっとズレてるような気もする。。。
あえてこじつけるとすれば。
美辞麗句とか意地とかプライドとかじゃなく
リアルで生なホンネのホンネは伝わる。
ってことなんだろうか。
謎である。
きょうはこのエピソードを書こう!
っておもいついたときのおのれに訊いてみたいw