今年の正月から。
なるべく主観を排して客観的に日々の出来事を残すようにしてて。数十文字ぐらいで。
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「そんなのを毎日マメにつけるのはなんだかしゃらくせえ気もするから」
ってんで、2〜3日に1回まとめて。
ちょっと油断すると一週間ぐらい、一気に。
みたいなことが、総トータル的にみれば。
12/9まで1日も途切れることもなく続いてる。
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なんか、そういうのひつようだとおもってね。
(「ブログをものす」ってのと別に)
(「ブログネタにはなんないようなもの」「ブログネタの種になりそうなもの」をevernoteかじぶんだけに閉じたLINEに日々メモっておって)
(いらねえ情報的には、いわゆる「見た夢日記」みたいなものも、evernoteかじぶんだけに閉じたLINEに日々メモっておって)
(あ、そうだ。手書きのメモ帳もある)
(その一環で?「○月○日は何があった」)
(という、メモ?日誌?をつけとくことの意味みたいなものを)
(1年単位ぐらいで積んでったら、じぶんのなかで何か価値が生まれるかもっておもって)
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冒頭から話が一歩たりとも進んでないが。
このエントリーのいんすぱいあーど・ばい・↓。
こういう(↓)。
日記じゃなくて「メモ」なので、ただやったことを箇条書きするだけ。これからやらなくちゃいけないことや、感情は絶対書かない。
そういうのって、11ヶ月と9日ぐらいやってきて。
つくづく大事だよねえって、おもってる。
「出来事だけを記す。」
「感情は出さない。」ってのが、ポイントで。
生きてりゃどうしても、感情があっちやこっちに振れるんだが。
そういうことをきょりりょく排除しようとしてみる。
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でもその。
バックナンバーを俯瞰してみると。
「客観性に徹して記したただの出来事記録ってのも」
「要するにけっきょく、きょうのじぶんのハイライトを取り出してるから」
「実はものすごく純度の高い主観に基づいておるな」
ってことに、夏のある日に気づいて。
はたと。
うおおおおっ!ってなった。
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ってだけのこと。
ちょっと安いぽえむくせえ物言いで、
わかりづれえし、つまんねえな。
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「ただ客観的に、その日の出来事を記録として残す」
ってのは、そう楽しい作業ではないから。
上記のように、どうしても2〜3日とか一週間とか、後でまとめて書くようになっちゃう。
そもそも。
その日、じぶんの心が揺れ動いた出来事があれば。
それはいろいろ濃縮して、ブログなりSNSに残してしまうもんじゃん?おのずと。
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で、いて。
変哲もない日は記す衝動を駆られないから。
記録に残すっていうことはいちいちしなくて。
数日ためると、
「おととい、何してたっけ?」って頻繁になる。
厳密にいえば、そのおとといだって。
たぶん、いろいろこまけえことは考えてて。
「きょうのおにぎりの具は、ごはんですよ? 鮭フレーク?」
みたいなことを積み重ねたはずで。
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でも、なんか。
「今朝もおにぎりの具をどうしようって考えて
ゆきついたのは『ごはんですよ!』だった。
『ごはんですよ!天下最強説ぇ?』」
なんて、さすがに日常すぎて飽きてきて。
何日か分、まとめて最終的には途切らさないサークル?デューティー?に落ちついた。
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そんななか、最終防衛線として。
「どうしても思い出せなくて困ったら夕飯のメニュウを記す」
ってことにした(してる?)。
たとえば、
「朝起きて、仕事行って、ルーティン業務をこなし、おうちかえって、おさけ飲んで、寝た」が3日つづいたとしても。
夜ごはんのメニュウは毎日違うはずで。
記録としての彩り?は出る。
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よしんば。
「毎日おみそしる」だとしても、
具がまったくおなじということはない
みたいな色の違いの出方?もあるし。
「今週は毎日カレー」だとしても
あまつさえ「毎日ボンカレー中辛」だとしても
その一貫性?に、それはそれで何らかの思想がありそうだ。
(↑キクチ薄っぺれえええええ!!!!!!)
みたいな。
1周まわって、記録としての日記?日誌?って本来的にまさにそういうものな気がしてきたわw
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もっかの問題は。
「ゆうべの夜ごはんが何だったかを思い出すのは、あんがいむつかしい」
ということである。