キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

リスペクトするしかないひとたち。母校の関東大会にwktkしてたらいらねえむかしのことがキョライしまくった

明日日曜は忙しい。

 

最後の福岡国際マラソンがあり、

ラグビーの早明戦があり、

中学駅伝の関東大会がある。

 

キクチ自体はロンのモチ、

走るわけでもタックルするわけでもない。

怪盗紳士さん言うところの「コタツみかん」である。

(コタツでみかん食いながらテレビ観てるだけ)

 

でも、多忙をきわめる。

 

午前のうちにokストアでおさけをせしめておかなくてはならない。

激務だ。

 

 

以上も以下も、ただのクソどうでもいい日記ぇである。

 

 

明日、栃木で開かれる中学駅伝の関東大会。

キクチの母校が出るって知ってから、超絶wktkしてる。

www.townnews.co.jp

神奈川県は4校が関東大会に出られるらしい。

母校は県大会で3位だったんだそうで。

 

今年は4位までぜんぶ川崎の学校という椿事。

 

(遠い昔の記憶を掘り起こすと)

(県大会への出場枠は川崎市は5位マデ)

(当時は川崎から県大会に出られれば)

(よっぽどのことがなければ)

(だいたい入賞はできるって言われてた)

(入賞=10位)

(キクチ中2のとき、アンカーが3人に抜かれて入賞を逃したんだっけ)

 

にしても上位を川崎が独占って、少なくともこの35年ぐらいでは初ではないだろうか。

 

 

いっぽう。

県大会で1位になった学校は12月中旬の全中駅伝に出れる。

今年の男子1位は隣の中学校。

 

キクチは中学校の学区でいうと。

中学入学と同時に隣から引っ越したので。

その1位だった学校には小学校の同級生のほとんどが進んでて。

同級生の息子が、下級生でまだレギュラーではないが陸上部らしい。

 

いいなあ、全中。

 

 

。。。

 

 

そんで、田舎の公立中学だてらには。

「母校が関東大会に進出した」

ってのは、ものすごくwktkすることで。

 

明日にそなえて(?)

ネットでいろいろ検索してたら、

こんなの(↓)をめっけた。

ニッチすぎるw

daapiyotf.livedoor.blog

 

「じぶんらのときすごかったひとって、載ってるのかな?」

好奇心100で眺めてみた。

 

キクチの中3は平成元年(1989年)。

記録はもうだいぶん更新されてるので、

表の右端の「樹立年」を見ていけば、

おのずと「19XX」は目立つし。

 

下2ケタが「8」つまり「198X」となれば、もう化石みたいなもん。

 

陸上界のレジェンドに南部忠平ってひとがいるんだけど。

「1930年に打ち立てた」

「走り幅跳びの7m98cmは」

「40年間更新されなかった日本記録で」

「いまでも日本歴代13位らしいぜ」

感がある。

 

わかりやすくたとえようとしてみたケド、よけいわかりづれえ?

 

 

そういう意味では。

「1989」ってのを見つけると、wktkが爆発した。

 

じぶんらの代。

神奈川県にはあきらかに別格だったひとが4人いて。

彼らは30数年?経ったいまも、やはり名を連ねてる。

 

100m、200mの遠藤クン。

800mの西本クン。

3000mの東クン。

あと、違うエントリーに女子の歴代もあるんだが、走り高跳びの太田陽子。

 

遠藤クンと東クンは全中でも3位かなんかになったし。

 

 

太田陽子なんて、外国人と結婚していまはおなまえが変わってるが。

日本選手権で何度も優勝したし、五輪も出てる。

wikipediaがあるほどで。

 

おんなじ中学校のおれらの代のエースが走り高跳びで県大会2位のやつで。

いまはただの極悪おまわりなんだが。

推薦で東京のすげえ陸上がつおい高校に進んで。

高2のとき、都大会を制したくらいのやつだったんだが。

 

中3の県大会。

太田陽子はそいつと遜色ないくらい跳んでて。

おれらがすげーすげー言ってる横で、

「おいおい、お前よか跳ぶかもな!?」言ったら

極悪おまわりがガチでカリカリカリカリしてて、チョーウケた覚えがある。

 

 

何を言いたいかというと。

 

中学時代、そんだけずば抜けておった神奈川県の3人の男子。

それでも高校以降、中央でおなまえを聞くことはついぞなくって。

「全国ってどんだけ広いんだぜ!?」おもったし。

 

いっぽうで。

前にどっかでほざいたことがあるように。

中学のときそこまでではなかったのに、

箱根駅伝のシード校で9区(復路のエース区間)を走るひとが出てきたりとか。

 

本人の伸びる時期とか、指導者との相性とか。

いろいろむつかしいよねっておもった。

おもいましたとさ。

 

 

あと、これは再三再四くりかえすが。

 

日本でトップクラスにいて。

日本選手権で入賞したとか、

オリンピックに出たっていうクラスでも、

ほとんどのひとは一般的には知らないじゃん?

 

そう考えると。

おなまえを聞いただけで、

「陸上ずきなひとは知ってる」クラスのひとって

もう、相当すげえし。

 

瀬古とか高橋尚子とか室伏とか、

どんだけすげえんだよって

おのずとなる。

 

「瀬古といっしょに走ったことがある」

っていうだけで、一生酒場のネタになる。

みたいな。

 

 

あ、おんなじ川崎の中学出身のhassyさん。

hassyさんがこの辺境クソブログをみてるはずはないとおもうけど。

hassyさんの世代もちょいちょいいるね。

4継の日本代表メンバーにまで上りつめた野川中の大槻康勝とか。

川中島の金城とか。

 

 

。。。

 

 

こっからは、土曜だし。

いつもにもまして誰も読まねえだろうってんで。

上記ずば抜けた3人に関する、キクチの浅くうっすい思い入れをほざく。

 

じぶんのために記憶を記録に残す。

 

 

その前に、上記リンクの30傑。

むかしの記録って漏れてたりするよね。

 

たとえば。

じぶんらのころは手動計時で。

関東大会以上に進まないと電動計時にはならなかったから。

 

短距離の記録が電動計時にしぼられるのはしようがない。

手動計時だと0.3秒ぐらい速く計測されるっていうし。

なので、住吉中の遠藤クンが等々力競技場の県大会で10秒8で走って、観客席で「うおお!」ってなったんだけど残ってないのはしようがない。

 

 

ただ。

おんなじ中学の2コ上にレジェンド的なパイセンがいらして。

県大会で全競技を通じたMVPになられて。

全国大会でも入賞されたほどだったんだが。

その記録が載ってない。

 

キクチは中1で目の前で見てた試合だったから、

そんときの記録もよおく覚えてるし、

競技場がみんなそこに釘付けになってた。

ぐらいのことだったのに。

 

。。。

 

まあ、しようがないかな。

ネットがねえ時代だし。

記録集計もアナログだったし。

 

カッコいいひとだったから。

体育祭のときなんか、関係ねえお母さんたちも

「あのコがあの!」

「しかも、頭もいいらしいよ!」

なんつって、目がハートになってたりしてね。

 

 

さてさて。

いらねえ記録掘り起こし的にもう一段階、深いところに沈む。

ニーズはじぶんだけにしかなくていい。

 

おんなじ長距離(中学生的に)な2人について。

 

 

まず、800mの西本クン。

彼はすげえ昔に言及した、兄貴のほう。

www.kikuchiroshi.com

あ、これはあくまでも噂なので。

真相は知らない。

っていうか、彼とは面識がなくって。

 

それは「おめえキクチよお」

「川崎ではそこそこだったとか」

「ブログで盛ってんじゃねえよ!」

ってこともあるのかもしれないが。

 

 

学校の顧問の人間関係なのか。

(よく合同練習とか記録会やる間柄みたいな)

たまたま当時「川崎でそこそこだった」ひとの中で、

おんなじ代の長距離でいえば、

上位6人かな?8人だったかな?の中では

知ってる(よくいっしょに練習してるし、試合でもエールを送り合ったり学校の垣根を越えてガチで応援できる)と。

知らない(試合でしか顔を合わさなくてどういう人かもよくわからないから、ただ「こいつには負けられねえ!」「よく知らねえからキモい(恐ろしい)」ってなるだけ。

ってぐあいに、まっぷたつに分かれてたゆえ。

 

「コッチ」に負けてもしようがねえけど、「アッチ」に負けるのはなんとなく許されない。なんならどんな手をつかってもアッチをつぶせ!みたいな。

 

女子中学生かよwww

 

(なので)

(何度もブログで取り沙汰した箱根駅伝クンは)

(小学校のときからおなまえはよおく知れわたってたものの)

(中学のとき「アッチ」だったので)

(お話しさせてもらったことはないんだよね)

 

(それはそれで)

(ヒリヒリ感的にはよかったとおもう)

(でいて彼が中学の最後の試合のとき、関係ねえのにトラックの脇でむっちゃくちゃ応援したしね)

 

 

中1のとき。

市内に圧倒的につおい子がいた。

それは西本クンではなかった。

 

 

川崎には「連合運動会」っていう、

市内の小学校の精鋭を集めた陸上大会が秋にあるんだけど。

 

これもどっか、むかしにほざいたかな?

キクチはそこでかろうじて長距離(1000m)の学校代表になって。

はじめて目の当たりにする等々力競技場の400mトラックのデカさと、タータンのモノホンぐあいとか、他校の選手のデカさに超絶ビビりまくってたんだが。

 

実際はそれほどでもなくて。

ただ、6組目のキクチがスタート地点で待機してると、2組目だったかな。

 

ぶっちぎりで速い子が圧倒的に独走してた。

「3分00秒の大会記録に0.1秒差でした」

っていう場内アナウンスを聞いて、

 

自己ベストが3分37秒だったキクチはただちに逃げ帰りたくなった。

「政令指定都市、広すぎる!」って。

(けっきょくそんとき、タータン効果なのか3分24で走れたんだっけか? でも遅いな)

 

 

中1の春の市大会、1500m。

そのKクンは予選も決勝もおんなじ組だったんだが。

予選も決勝もぶっちぎりでトップで。

 

「こんなやつより速いやつはいねえだろ?」

おもったとおり、県大会でも優勝した。

昭和の中1春夏なのにセンゴ4分30とかさ、ライバルにもなりえねえわ。

 

 

ところが、Kクンは中1で忽然と姿を消した。

 

あとから知った話だが。

お父さんが星一徹みたいなひとで、小学校から相当な練習をしてたらしくて。

だからこそ、連合運動会でも圧倒的なトップで。

2年生になるとき、陸上部はぬるいってんで、さらなるグレードアップを求めて学校の部活をやめたと。

 

後日談的には。

3年生になったころ、

「実業団と練習してるらしいぜ!」

「センゴはもうよゆうで3分台らしいぜ!」

市内に噂がかけめぐったが、真偽のほどは知らん。

 

 

中2の春。

Kクンがいなくなった川崎市。

キクチにすれば「チャーンス!」

 

Kクンは秋の試合もぶっちぎり1位で。

2位以降はわりとダンゴ状態だった。

冬春にものすごくいい感じで練習を積めたので

「おれにもワンチャンあるじゃん!」

キクチはおもった。

 

ところ、中2の春夏。

そこにすげえ成長を見せた西本クンが現れた。

 

 

春の市大会。

アタマとる気マンマンで意気揚々と先頭を走ってたキクチ。

 

ラスト1周の鐘が鳴ると、

「え? おれってただのペースメーカーだったの?」

ぐらい、何人かに猛ダッシュをかけられて。

 

ついてけなくて遅れて。

西本クンは2位になった。

 

それでもタイム的にはまだそんな差はなくて。

「川崎の中2はダンゴ」って意識だったんだが。

1ヶ月後の県選抜で大きくジャンプアップして県大会でも2番。

全中行きをキメ。

 

中3になってからは中距離のほうに行き、

上記したように800mで(当時としては)圧倒的な神奈川県記録を打ち立てた。

 

ザコキクチはもう、話しかけられないレベル。

「アッチ」だし、よけい。

 

 

いっぽう。

上記したように、同世代の神奈川県の中1。

Kクンが圧倒的にトップだったんだが。

 

中2になって、おんなじ川崎の西本クンが驚異的な成長を見せて県大会でも2位になり、全国大会の標準記録も突破したんだが。

 

中1のころのKクンが抜けて空いたトップ争い。

そんな西本クンの前を走り、

神奈川を圧倒的に制したのが、東クンだった。

 

 

あずまではなく、ひがし。

オーラっていうか、威圧感がすげえのよ。

 

中学生の陸上選手っていまでもよくハチマキとかしてんじゃん?

そこにはだいたい、学校名が刺繍してあって。

それよかちょっとひねると「必勝」だとか「完全燃焼」みたいな、ああそういうのありますよねみたいな文言が並ぶんだが。

 

東クンのハチマキには「大胆不敵」ってあった。

ファッ!

 

 

むろん、キクチみたいなザコは面識はない。

が、何度かおんなじ組を走ったなかで、

「成瀬中の東、すげえ」と同時に、

「『大胆不敵』ってなんだぜ?」ってなった。

 

なんつうか。

食物ピラミッド的に頂点にいる感じ?

 

サメの牙がこええだの、チーター脚はやいだの、

サイのタックル力は最強だろ?

って言ってる横で。

 

よゆうでたてがみをなびかせてる雄ライオン。

みたいなニュアンスの「大胆不敵」。

 

 

東クンに対しては、キクチは完全に観客で。

神奈川っつっても、そもそも地域がぜんぜん違うし。

 

ある試合は半周以上離されながら、

ある試合は決勝に残れず、スタンドから見ながら。

ぶっちぎりで独走してる東クンをただただすげえって眺めてるザコキャラぐあいで。

 

2コ上のパイセンがもらった神奈川MVP。

たぶん、短距離の遠藤クンかこの東クンだったような気がする。

 

 

当時は3000mの全国標準記録が9分08秒で。

「全国標準を突破したら、そりゃものすげえわ!」とか。

「言っても県上位は9分フラット前後」

「8分台とか、なんなんだよ?」

ってときに、キクチが目の当たりにしたのは8分48で。

 

これは陸上をみたことないひとには説明がむつかしいんだが。

 

たとえば9分フラットと8分48秒って12秒差だけど。

それって、ホームストレートほぼ1ケ分。

100mとはゆかないまでも、体感そんくらいの圧倒的な差があるのね。

生でみるからこその力量差がわかりるみたいな。

 

 

「こんな奴に勝てる奴いんのかよ!」

 

って、いまでも毎年、全中はNHKで中継されんじゃん?

夏休みの夕方、16:00ぐらいから。

 

 

1989年の夏休み。

「3000m決勝です」

ってんで、ラインアップをみたら東クンがいて。

もう完全に応援団きどってみてたら、3位かなんかになって。

 

やっぱすげえなってのと同時に。

「あの東クンより速いやつがいるのか」っておもってたんだけど。

 

 

優勝したのは、新潟の小林雅幸ってひとで。

 

のち都大路(全国高校駅伝)の1区で区間賞をとり。

早稲田大学のエースとして活躍してたし社会人でもスバルとか、ずっと世代トップで君臨してたよね。

渡辺康幸の後継者として名門早稲田の看板を背負ってた偉大なランナー。

 

むかし、つとめてた会社に。

おない年で十日町高校出身のひとが入ってきたとき。

同世代としてはそんなん感じで、ものすげえ興奮しちゃったもんね?

「(あの東クンより速かった)小林雅幸って、どんな感じ?」ナドト。

 

 

(じぶんらが中3のとき)

(それまで県大会までだった駅伝)

(はじめて関東大会が開催されることになった)

(全国大会はまだない)

 

(県大会で2番まで進出でける関東大会)

(東クンの成瀬中は優勝したらしい)

(ネットも何もない時代)

(それを伝え聞いたおれらは)

(「そりゃそうだよね!」「どこがそこに勝てんの?」おもった)

 

(その年の伊勢原の成瀬中は)

(東クンだけでなく)

(3000を9分切る双子?がいるんだもん)

 

(たぶん、当時)

(1つの学校に割り当てられる選手枠は最大2で)

(学校あたりのゼッケン番号はみんな奇数だったのに)

(その年の成瀬中だけ、なぜか3つあったんだよね?)

 

 

。。。

 

 

余談の余談。

 

上記したように。

「明日は忙しいぞお」と。

 

最後の福岡国際マラソン。

ラグビーの早明戦。

中学校駅伝の関東大会。母校が出る。

 

ムリムリムリムリムリッ。

 

 

なんつうかね。

まさかずさんって、なんかクールで。

ふだん全然からんできてくださらないじゃん?

なんなら、グループLINEもみてるのかみてないのかわかんねえまんま、お誘いかけてもスルーしっぱなしだし。

 

走りましたー。

ラーメン食いにきましたー。ってたまにツイッターでドヤ顔カマしてるけど。

 

走ることにもラーメンにも興味のないキクチにとっては申し訳ないけど別世界のことで。

「テキトーな写真そえて『なう』だけのツイートにどう反応しろっての?」

「それって、ヒロダディさんにあこがれすぎ?」

ナドトね。

 

 

そんな多忙きわまる日曜。

ぜんぜん走れていないキクチ。

どうしろっていうんですかね?

 

まさかずさん、ホント無礼ゴメンナサイゴメンナサイゴメンナサイ。