最近はじめたことといえば、下り階段の一段抜かしである。
「最近」って「今週に入ってから」だから
まさに超絶ニワカなんだけどな。
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階段の「上り」はけっこうむかしから
習慣的に一段抜かししてる。
よっぽどくたびれてるとか、
誰かといっしょじゃなければ。
もともとエスカレーターとかエレベーターは使わないほう。
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そりゃ誰かといっしょのときは、
文明に頼るか、一段ずつ上りますよ。
なんか恥ずいっていうか、人の輪を乱さないっていうか、なんか恥ずいっていうか。
じゃん?
あ、習慣的に一段抜かしっつっても。
足腰を鍛えようとか運動不足を解消しようってんじゃなく。
じぶんのなかでもう何となく「そういうもの」になっちゃってるニュアンス。
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かたや。
階段の下りは一段ずつ下りていた。
ピッチっつうとワケワカメな専門性?
を帯びちゃってアレだが。
回転数を重視してリズム良く下りるようにしてる。
ショージキ言っちゃうと、下の一段抜かしはちょっとこわい。
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これはキクチだけのことなのか、
あるある的な汎用性のあることなのかは知んないケド。
下り階段って、途中で遠近感がわかんなくなる。
みたいなとき、なくね?
「一段ずつ下りる」ときの話になっちゃうんだけどな。
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おんなじリズムでいい感じでトントン下りてても
だんだんそのリズムがこんがらがってきて
どこかで「うっ」っていっしゅん脚が前に出なくなる。
それでこけそうになるのが残像として残って(日本語?)。
回転数が上げきれないっていう。
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前に軽くググってみたら。
その遠近感なりリズムがわかんなくなるのって
ゲシュタルト崩壊の一種らしいんっすね。
短時間のうちに「狛江」って単語を
何度も何度も見たり口に出したりしてると
なんだかわけがわかんなくなってきて。
「なんでこれは『こまえ』って言うんだろう?」
とか、深いんだか浅いんだかなことを考え出す。
みたいな、あの現象。
半蔵門線の永田町駅みたいに。
次のフロアに下りるまで異常に長い一本の下り直線がつづくと。
うわー、ってなるじゃん?
(そういえば、何で上りではゲシュタルトが崩壊しないんだろうね?)
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話を戻す。
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一段抜かしとなると。
動きが2倍になるだけに、「うっ」ってバランスを崩したときのダメージ?もし踏み外したときの被害度?が大きそう。
ってのもあるし。
たんじゅんに一段抜かしで下りる衝撃に、いまのおのれが耐えられなさそう。
こわい。
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で、このエントリーで何を言いたいかというと。
上記のうちの後者。
「衝撃に耐えられなさそう」
ってのがちょっとだいぶ、
やだなあっておもっちゃったんっすよ。
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中高生のころは。
校舎とか駅とか、そのころマンションの4階に住んでたんだけど。
それらの階段、ふつうに一段抜かしでポンポン下りてたはず。
いや、別に。
「老いる」とか「劣化する」ってこと自体には抵抗がないっていうか。
じぶんのなかでいいバランスで老いたり劣化してくのも、それはそれでしようがないっていうか。
むしろ、そういう変化を楽しみにしてるフシすらあるんだが。
それとこれとは話が別で。
(ちょっと何言ってんのかわかんない?)
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下り階段をすっす、一段抜かしで下りれたら、ちょっとキクチかっこよくね?
とか、脈絡もなく血迷っちゃったわけですよ。
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総武線から小田急の連絡口に行く階段で。
キクチが老体に鞭打って「一段ずつ」
ピッチを上げてタッタタッタ、下りてるとき。
隣の若者がおんなじピッチでクールに
「一段抜かし」で、キクチじいさんをぶち抜いてく。
って光景に。
「一段ずつ」のピッチの限界を感じたというか。
それとはべつに。
「一段抜かし」かっけえ!
おれもああやって軽やかにイキてえ!
ごくたんじゅんにおもっちゃって。
ってのが、発端。
時系列がぐちゃぐちゃでわかりづれえ?
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ゲシュタルト的なものと、衝撃(と、「そんなスローで一段抜かしすんなら一段ずつ行けや!」的な目)がこわいので。
まずは「ふつうのひとが1段下りるのの1/2のスピードで一段抜かしできれば、いいのいいの」
みたいなおのれをなだめる心持ちで取り組んでんだけど。
やりはじめるとおもったよか、ちょっとはできたりして。
(総武線の乗り換えみたいな短い階段限定)
フジヤマさんが官九郎練をしてたころ
影響を受けて買ったまま、
一度たりとも使ってないラダーを探しに
物置探検隊になってみたりして。
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「着地の衝撃は次の一歩の反発力に使えばいいんじゃん?」ナドト、まるで走るひとみたいな思考回路にもなってきちゃったりして。
電車通勤の階段コースは。
往路がくっきり上り基調で
復路がくっきり下り基調なもんだから。
すでに明日の仕事終わりが楽しみで楽しみでしようがないw
でも、まずちゃんと仕事しろよキクチ。