キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

野望

47にもなるといい意味でもよくない意味でも「自分」みたいなものが固まってくるもので。

今年の春ぐらいから、ちょっとそれはどうなのかな?っておもうようになった。

 

とか、大げさな書き出ししちゃったケド。

要するに。

「やってねえこと、まだまだいっぱいあっぞ!」って話で。

 

50年近く生きてるのに、思い返すととじぶんが経験あることってあまりにも少なくて。

 

 

初体験をやってみる。

 

もっというと。

「自他ともに?キクチのイメージとギャップがある」

「およそキクチがやらなさそうなこと」

的なことにチャレンジしてみるのはどうかなっておもった。

 

じぶんにとって、というかじぶんのために。

ある意味。そこに何らかのヒントが隠されてるような気がした。

 

 

でもいざ初体験なこと(やったことないこと)って、コウ齢をくって思考が凝り固まっちゃってくると。

発想自体が浮かばなくって。

外的要因がひつようで。

 

そういう意味では。

2〜3年前に(鋼鉄レベルの柔軟性をもつキクチが)まさかのヨガの端の端に触れられた。

ってのは、まさにそれで。

 

カナセンセイには感謝してもしきれない。

でもたぶんもう、お会いできることはなさそうね。

 

 

そうそう、ヨガみたいなそういうやつ!

 

 

1ヶ月ぐらい前だったかな?

東京五輪が始まったころだったかな?

テレビで柔道をみてて、そういうことをわりと切実におもって。

 

「いまさら武道でも始めてみようかな」ってツイッターでこぼしたらば。

即座にマルコリーニに爆笑されたでござる。。。

 

爆笑したい気持ちはすげえわかりるが、キクチの情熱を踏みにじるな!

ナイス踏みにじり!

 

そういうやつ!

 

 

たとえば、ですね。

「ウルトラマラソンに挑戦する」とかは全然ちがうんっすよ。

 

こうもんみえてもいちおう。

むかし24回ぐらい、フルマラソンを完走したことあるので。

 

フルマラソンとウルトラマラソンはまったく異種のものだけど。

なんつうか、インパクトに欠けるっつうか。

延長線上にある感、あるじゃないすか。

 

いや、取り組み的にじゃなくイメージ的に。

 

 

かといって。

「ボディビルディングする」

までイッちゃうと、それはそれでまた遠すぎて違う。

 

 

そういう。

「ある日とつぜん長渕剛や松ちゃんが屈強にみえるようになった」的な、実利的なことはいらない。

 

はたから見てわかりやすいけど、イキりたいわけではないんですわ。

どちらかというと、目に見えてわかる変化はいらない。

 

 

見た目。体型、肌のハリツヤ他?って意味では。

実年齢よかほんのちょっとだけ見た目若めげ?をキープでき続けたらいいなってだけで、美魔女みたいなことや変化(へんげ)みたいなことはまったく望んでない。

 

 

あれだよね。

ここまで書いて気づいたんだけど。

キクチがここで抱いてる野望は、フィジカル的なことじゃなくメンタル面なんだよな。

 (前述、武道ぇ。。。)

 

いや、武道をメンタルととらえればいいのかな?

 

 

そういう野望。

 

「どうよ!おれってすごいっしょ!すごいっしょ!」とか、ツイッターでさらしたくなるような鼻持ちならねえやつ、じゃないやつ。

ブログネタになる範ちゅうのやつ。(←目的としてそうってんじゃなく、結果としてそういうたぐいって意味で)

 

まさに、ヨガみたいな。

 

 

あ、ヨガっていえば。

ヨガっていえるほどのことじゃ、とてもないけど。

じぶんなりに、柔軟?体操?的なことはつづけてて。

 

こないだ。

ちょっと寝転がっただけで青いつぶつぶが服とか肌にへばりつく。

ぐらいに、前の青いヨガマットが劣化したんで。

おんなじやつの黒いやつに買い替えた。

 

キクチが性懲りなくつづけてるヨガもどき。

 

目に見えたカラダの変化はたぶんないが。

筋を伸ばす痛気持ちよさとか、体勢をキープしようとしてプルプルする感じは嫌いじゃないので、じぶんなりにつづける。ショゾン。

 

いらねえ情報。

 

 

このエントリーで何を言いたいかというと。

 

そういう。

じぶんの新たなフィールド探し的なことで。

「今年中に一人カラオケをする」

が、わりとおっきいテーマとしてキョライしてる。

 

これって、言葉の本来の意味でいう「適当」っていうか。

おもしろそうじゃない?

 

 

「え? カラオケ? そんなこと?」

っておもうひとのために補足しとくと。

 

キクチには。

音楽という文化がほぼないし。

おうたをうたう、という文化がまったくない。

  

蚊の鳴くような声量しかないし。

音痴ではないかもしんないが、うたはまったくうまくない。

リズム感も皆無。

 

そして、カラオケに行くという文化がない。

 

ウタゲで1次会のあと。

陽キャな幹事さんが「2次会、カラオケ行くひとー!?」ってなったら、かたくなに居酒屋いきたいって押し切るか、押し切れなかったら有志をつのって居酒屋に別行動したがるみたいな、すげえやなやつだし。

 

 

「おめえキクチ、カラオケで見たことあるぜ?」

については。

 

その時点で判断がつかない程度に酩酊してたり、場のフインキ的に「次はカラオケ?」ってなって、ひとりぼっちになるのがやだから行く、ぐらいのもんで。

 

この令和の世になってすら「カラオケボックスに来たくせにうたいたがらない(じゃあおめえ来んなよ)」 っていう、めんどくさい性質なんすね。

 

うたがうまくないとか。

声が小さいってのもあるけど。

のどちんこさらすって、そもそもの恥じらい度つよくね?

 

 

っていうようなやつの野望が。

「一人カラオケ」

 

その意味、わかりる?

 

(ただ、もうね)

(このクソどうでもいい)

(たかが「キクチがカラオケに行く」にスペシャル感を盛り込もうとするじぶんが、とってもいや)

 

 

そんで、こういう野望のたぐいは。

ちゃんと実現を現実的に等身大で考えないといけなくて。

だって「いつかやりたいなあ」ってことはたいてい、一生やんないままじゃん?

 

きょうは土曜でヒマだから、選曲リストをつくってみた。

アルコホールで燃料注入するか、一人だけにシラフでおのれと向き合ったほうがいいのかとかも、考えた。

 

「今年中にやりたい」ってったけど。

「そういう課題は秋のうちに片付けてしまったほうがいい」ともおもってる。

 

そうやって、やらなくても生きてけるへんな課題を設けちまったじぶんが、ほんとうに憎いw

 

。。。

 

ところで、一人カラオケって。

時間的にはどんくらいが相場なんすかね?

 

歌うことは好きじゃないけど、(聴いてて)すきな、うたいたくなる歌はいっぱいある。

 

てめえの選曲リストをながめると、30分や1時間じゃ収まりそうにないし。

かといって「こいつ一人で2時間もやるの?」、店員さんにおもわれたらちょっと気恥ずかしい。

 

悶える。

(この後日談は、たぶんきっとある)